昭和二十九年二月一日御講話(12)

〔 質問者 〕親の代より熱心な天理教の信者でありますが、このたび神経衰弱を御守護いただき元気になり、入信いたし、御神体御奉斎の希望であります。天理教の神様を祀ってあるために、これはどういう処置をしたらよろしいでしょうか。

【 明主様 】なくすのが一番よいですが。

 
〔 質問者 〕元の教会に返してはいかがでしょうか。

【 明主様 】返すのはまずいのです。というのは「どういうわけですか」と聞くから、正直に「救世教に」と言うと、天理教のほうで怨む。なるだけ怨みを買わないほうがよいのです。だから返すというのは目立って、一番いけないのです。個人でしまっておけばよいです。

 
〔 質問者 〕そうとう大きな物ですが。

【 明主様 】当分しまっておいて、ある時期にいったら焼けばよいです。
 天理教の神様も喜んで焼いてくれればありがたいが、そういった神様の代わりに変な霊がいることがあるのです。そういう場合には急に処分したりするとアダをしたりするから、それが改心するなり帰るなりしてからがもっともよい。そういう障りがなくてすむから、そこでしばらくそこの家にしまっておいて、それでどういうことをしても差し障りがなくなってから焼くというわけです。

 
〔 質問者 〕天理教の教師が来てやっておりましたが、ぜんぜんお蔭がなく、私のほうで一週間ぐらいで治りました。

【 明主様 】ところがそういうのがだんだん増えるから、天理教以外の何宗教でもそうです。どうもこのごろは自分の所の信者が減った、どうも救世教のやつ、というわけで、そういう霊がいくらか邪魔するのです。なるだけそういった怨みを少なくしたほうがよいです。妙なもので、前に私が有罪になったときに、いままで怨んだ奴が「救世教のやついい気味だ、これで溜飲<りゅういん>が下がった」という人間がたくさんありますから、それがこっちに対して非常によいのです。そうすると霊的にそういう霊が退散して邪魔しなくなるから、こっちが大いにやりよくなるわけです。人間はなんでも人から羨まれたり怨まれたりしないようにすることです。年中苦しんだり困っているということを……無理に作らなくてもよいが、そういうように思わしたほうがよいです。そうして実際において良ければよいのです。ところが人間は、一つの虚栄心のようなものがあって、人によく見せる、間<ま>がよいように思わせたがるものですが、結果は逆になるのです。そういうことを始終心に入れておいてやるということがよいのです。だから急に出世したりするのは、一つの羨望やそういうことで悪くなるということは……他のいろいろな原因があっても……そういう原因が多いです。だからさかんであっても没落したものには、そういう霊の働きが非常にあるのです。

 いまのことを秀吉と家康とに比べてみるとよく分かります。秀吉は百姓の伜<せがれ>があんなに出世をして、関白という最高の位になって、そうして出世したことを大いにおごって<ヽヽヽヽ>やった。それに対して徳川のほうは年中パッとしないで、逃げたり引っ込んだりして目立たないようにしながら、結局天下を取ってしまったのです。徳川のほうがずるいやり方で、秀吉のほうは正直なやり方です。そういうずるさは結構なのです。しかし救世教などもそういうことが大いにあるけれども、その代わりこっちのほうは助かった人の感謝が打ち消してしまうから、よほど少なくなります。また感謝のありがたいという、その霊というのはよい働きをするから、そういったヤッカミの霊や怨みの霊を消す。ところがもっかのところマイナスの霊が多く、感謝のほうが少ないから、どうしても数のほうにおいて負けるのです。悪いほうが一〇〇とすると感謝のほうは一か二ですから、数において負けるのです。しかしこれからだんだん進むにつれて、他の宗教からこっちに転向するというのが大いに増えてきますから、そうすると他の宗教が非常に怨みます。それが一番注意すべき点です。救世教が本当に救われるということが分かったらみんな転向しますから、そうすると他の宗教はガタガタになってしまいます。「救世教のやつ、新しいくせにして、オレたちのをみんな取ってしまった」というそれがあります。だからその点を目立たないようにしているうちに、いつかこっちが大きくなってしまうというようにしたほうがよいです。それでまた、こっちが手が出せないほど立派になってしまうと、人間は諦めてしまいます。ただそれまでにだんだん発展するという怨みが大きいのです。手をつけてもしようがない、あれは別だというように諦めるというその時までは、できるだけそっとしたほうがよいです。やっぱり根本は霊ですから、霊の邪魔というのが一番怖いのです。体的の邪魔というのは知れたもので、それだけのもので限度があります。人間という奴は、理屈では分かっているが感情のほうが分からないというのがたくさんあります。それから、人間、理屈どおりにできる人はたいへんな偉い人です。分からない人間は始末がよいのですが、分かっていて分からないという人間が一番始末が悪いです。分かっているのですから。

▽次節に続く▽