昭和二十九年一月二十五日御講話(1)

 二、三日前に聞いた話ですが、『ニッポン・タイムズ』のエリス・グリリというアメリカの新聞記者が、この間日本の大新聞の記者を数人集めて、救世教というのでなく、私の宣伝をしてくれたのです。その人は四年前に日本に来てずっと滞在し、最近日本に土地を買って家を建て、畳住まいで、日本人と同じ生活をしているのだそうです。どうして日本をそういう具合に好きになったかというと、やはり世界中いろいろな国に行ってみたところが、日本人が一番勝<すぐ>れているというのです。他の国の人間が持たないすばらしいものを持っている。それを自分は発見した。だから一生日本研究で終わるつもりだということを言っているのです。そのときに日本の新聞記者に対して「自分はいままで日本人の偉い人にいろいろ会ったが、救世教の岡田茂吉が一番偉い。それをなぜ新聞に書かないか」と言ったのだそうです。そうすると新聞記者はヘドモドして、その中で『朝日』の記者が「あれはおもしろくないことがある」と言うのだそうです。内容は聞かないが、たぶん裁判のことだろうと思うのです。有罪になって執行猶予中だという、そういうことだろうと思うのです。他にはないのだから……。そうするとグリリという人は「そんなことがなんだ。それは人間だから、大きな事業をする人は、なにか少しは法に引っ掛かるようなことをするのは、やむを得ない。けれどもあの人のやっている事業の百分の一くらいのものではないか、そんなことは問題ではない。とにかくあれだけのことをやって、病貧争絶無の世界、地上天国を造るという、これほど大きな事業があるか。おそらく世界でもまだないだろう。とにかく自分が日本に来て、日本人の偉さということを、あの岡田という人によって初めて発見した。それを新聞に書かないということはないではないか」と言って、大いにやったそうですが、痛快だったわけです。そういうわけで、つまりいつも言うとおり、日本人のああいうジャーナリストというのは、とにかく目玉が小さいので、大きいものを見ることができないのです。全体的に見ることができないで、局部的に見るのだからしようがないわけです。結局ナンダカンダ言っても、日本人の目のクリ玉の小さいということが、日本の発展を阻害しているわけです。日本を伸びないようにしているわけです。仮に自然栽培にしても、立派な成績を、農業者や農事試験場の役人が見ながら、それを取り上げようと考えないのです。いかにしてこれを非難して、拡がらないようにしようか、押さえつけようか、ということに一生懸命です。でなければ、もし自然栽培が天下に知れたら、農学者などの自分の説が一遍に壊れてしまいますから、それがつらいのでしょう。それから農林省の役人はクビの問題になるでしょうし、とにかく国家社会とか世界人類ということより、ただ自分の利益ばかりを考えているのです。それからまた、そういうことに対して、大新聞などは自然栽培を大いに紹介しなければならないわけですが、そういうことはないのです。そのくせ『朝日』などは調査しているのですが……。しかしそれをやると肥料会社のほうがたいへんなのです。致命的打撃になります。だからして肥料会社のほうなども、しかるべく……箝口令<かんこうれい>ではない、緘筆<かんぴつ>主義もやっているのではないかと思います。彼らの頭というのは自己の利害ばかりを考えているわけです。これは新聞や学者ばかりでなく、政治家でもそうです。我党、我党で、社会党などの講演にしても、ほとんど理屈のないところに理屈をつけて、苦しまぎれにただ政府のやり方を非難して、自己を離れての本当に国家や多数国民のための利益ということは少しも考えないのです。実に露骨に自己の利益しか考えないようにやってますが、ああいうことは決してごまかされるものではないですから、あれを聞いて、心ある人はそのさもしい心を見抜きます。ですから再軍備反対ということも、徴兵適齢期の青年とか、あとは爺さん婆さんという連中だけが賛成するのです。彼らのさもしさというものは実にかわいそうなくらいです。けれども時の問題で、もう遠からずそういうのがみんな改心せざるを得ない情勢になってきますから、別にたいした問題ではないのですが、そういうようなわけなのです。特に日本人などが、ほとんど幸福な人間というのはないので、不仕合せな人間ばかりが蠢<うごめ>いているようなわけです。それで幸運の秘訣ということを書いてみたのです。以前にも書いたことがありますが、もっと分かりよく徹底して書いてみました。

 (御論文「幸運の秘訣」朗読)〔「著述篇」第一二巻二〇六ー二〇九頁〕

(次節に続く)