それから、もう一つおもしろいことがあります。これも私がいま書いてますが、ここ(掌)から出る力はいったいなにかということは、一番知りたいと思います。それを知るとともに、人に聞かれて、どういうわけで治るかということをどうしても説明しなければならないし、それには充分肚に入れておかなければならないから、それを話します。これは、一番分かりやすく言うと、霊的原子爆弾なのです。というのは、原子爆弾というものは非常に熱度が高いのです。これはいままで地球上に現われたことがない熱です。つまりピカドンですが、そのピカドンで地上にある物は全滅してしまうのです。それはなにかというと、火力ですから、火力で焼けてしまうのです。原子爆弾の説明には、つまり太陽の小さいものを造るのだということを言ってますが、そういうものなのです。太陽熱というものは熱の体ですから熱いとか光るというわけです。ところがこの霊というのは目に見えず五感に触れないものです。いつも言うとおり、霊のほうが力が強いのです。ですから太陽の火力の霊が私の所に、つまり伝わると言いますか、これも説明しにくいのですが、とにかく太陽と繋がっているわけです。これもいずれ詳しく書きますが、その説明はなかなかしにくいのです。これはやっぱり科学なのですが、科学というと見えるものばかりを言うが、そうではないので、これは見えない霊科学です。それが、霊の火力が患者の病気の所に放射すると治ってしまう。治ってしまうということは、霊体の曇りを溶かすということになってます。曇りというのは不純水素ということを私は言いますが、不純水素というものは、水素の中に毒粒子……薬毒が固まったものです。薬毒は、最初の、薬をのんだり注射をしたときは霊全体に拡がっているのですが、だんだん固まって、つまり硬化作用ですが、そうしてここならここが痛いとか、腫れるというのは、そこに固まったわけです。それで固まったその不純水素というものは、つまり毒粒子がたくさんそこに集まってしまうのです。ですから肩が張る、ここが固くなるということは、いまの毒粒子がだんだん固まってしまうわけです。それで、浄霊すると、ここから出るほとんど計算ができないくらいの強い火力……原子爆弾よりずっと強い……それがゆくと、毒粒子が焼けてしまうのです。要するに粒子ですが、粒子と言っても、非常に細かいもので、顕微鏡などでつかまえることはできないくらい細かいものですが、それが焼けてしまうのです。毒粒子が焼けた後の灰……生物とすれば死骸……それがいろんな排泄物、膿とかになって出るわけです。ですから放射して、痛みなら痛みがなくなりますが、痛みはなくなっても灰はそこにあるのです。あっても痛くないということは、みんな死んでしまって活動力がなくなるからです。それが、活動力があると動くので、痛みとかいろいろあるのです。それで、死骸になると人間の神経を刺激しないから痛くなくなるのです。しかしまだあるのです。ですからこれはどうしても排泄しなければならないのです。そこで人間には、邪魔物はそこにおいておくわけにはゆかないという活動力がチャンと備わっているのです。よく、お腹の子供が死んだ場合に、医者は切開して出しますが、これは浄霊すると死骸は出てしまいます。それは、そこにあってはならないものはどうしても出るという作用が起こるのです。ですから、お蔭話にあるとおり、針をさして、これを浄霊すると、結局出るのです。この間のお蔭話にも足に針をさして、それが何ヵ月かたった後に、針の先がだんだん移動して行って、反対側から先のほうから出てしまったというのがありましたが、そういうようで、人間の体にあってはならないものはどうしても出ることになっているのです。それで、いま言う曇りの中にある毒粒子も、死ねば必ず出るのです。それを殺すということは焼き殺すわけです。それがここから出る火素で、この火素というのはそういうものなのです。ではいままでそういうものがどうしてなかったかというと、それは時期の関係で、それについても私はいま書いてます。これはちょうど二回にわたって『栄光』に出します。とにかくちょうど原子爆弾を発見したのと、この浄霊が出たのと、だいたい同じです。二〇世紀後半ですから、時期はだいたい同じなのです。そうするといっぽうは体のすばらしい強力な熱であり……原子爆弾の熱は二万度とか三万度とか言ってますが、水素爆弾になるともっと強いのですから、これは測定はできないというわけです。ここ(掌)から出る火素はもっと高いので、とうてい原子爆弾どころではないのです。ただ霊ですから、そういった物質的なものはないわけです。この火素の火力というものは無限と言ってもよいのです。この間も無限力ということを言いましたが、とにかく無限力です。それで病原は、いま言ったとおり、霊の曇りが病原とすれば、霊ですから、それを治すとすれば、霊をもって治すのが本当です。ところが、それを体の物質で治そうとする医学はぜんぜん見当違いなのです。そこで治らないというわけです。だいぶ難しい話になりましたから、このくらいにしておきますが、私は原子爆弾は殺人光線、霊のほうの火素は活人光線と名をつけたのです。片方は殺す光線で、こっちは生かす光線で、反対なわけです。それがちょうど同じころに地球上に現われたということは、非常に意味があるわけです。いつも言うとおり地上天国というのは創造……建設ですが、つまり破壊と創造です。ですから原子爆弾は破壊の力です。それで火素のほうは建設の力、創造の力です。だから浄霊によって、滅ぶべきものを生かす、破壊さるべきものを創造するということになりますから、その点から言っても破壊と創造ということがよく分かります。医学が病気を作り人間を破壊し、こっちは浄霊でそれを治すのですから、これも破壊と創造ということになります。
(御講話おわり)
「『御教え集』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p121~124」 昭和29年01月03日