そこで、地上天国は熱海が完成するとたいへんな評判になります。いまはまだ中途だからあんなものですが、できあがったらずっとびっくりするほどのすばらしいものになります。そういうようなわけで、世界的の注目の的になります。外国で「日本にたいへんなものができた」「いったいそれはなんだ」「なにものだ」ということになり、「それは一宗教の教祖だ」ということになり、また日本でも、「救世教はドエライことをやった」「岡田茂吉も、馬鹿にしていたが、そうでもないな」となります。それに早いです。なにしろヨーロッパではヴァチカン、支那では北京の紫禁城、日本では奈良、京都、日光という所ですが、それはみんなとにかく一〇〇〇年以上たってます。日光だけは三〇〇年そこそこですが、ところが私がやったのは一〇年たつかたたないうちです。それでしかもあっちのほうは何千人か何万人か分からないくらいの大勢の人間が一〇〇〇年以上もかかって造ったものです。こっちは私一人で、一〇年そこそこでそれに匹敵するものを造るということは、人類史上にも大いに研究する必要があるというので、私の研究熱と言いますか、そういうものがきっと出ます。そうすると、「まず研究するには、なによりも彼の著書を見るのが一番よい」というので、私の本を大いに読み出すということになります。そこで、農業は実地でもう二、三年で分かりますが、一番肝腎なのは医学です。医学が分からざるを得なくなります。ですからこれが一番早いです。病人を治してだんだんゆくということもよいですが、これは遅くて暇がかかります。そこで神様は一度に分からせようとして、つまりその方法が、地上天国という美術的のことを、そういう方法でやるわけですが、考えてみると、実に抜け目がないと言うか、さすがは神様と感心してます。そういうわけで、「これほど立派なものが一〇年そこそこでできたというが、いったい金はどうするか」ということになります。それは、どんな病院でも博士でも治らない病気が簡単に治って、その感謝のためにみんなが自発的に金をあげる。それが集まってこういうものができた、ということを分からせるようにします。「それでは救世教の病気治しというものは、よほどすばらしいものに違いない」ということを考えるわけです。ですから地上天国というものがそういうような大きな役目をすると思います。
「『御教え集』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p110~111」 昭和29年01月02日