救世教のほうはいよいよ大いに世界的に認められるという時期が非常に近寄ってきているのです。というのは、熱海の地上天国は会館と水晶殿<すいしょうでん>はこの秋にできます。そうして美術館のほうは来年秋になりましょうが、来年はぜひできるつもりです。そうするとだいたい完成することになります。しかしそれでおしまいではないのです。熱海のほうも、後まだまだだいぶ広くなりそうです。なにしろ神様の計画はドエラク大きいのです。奥が知れないと言ってもよいくらいです。そうすると熱海の地上天国というものは、日本は勿論そうですが、世界的にも大きな話題になると思います。おそらくまず世界始まって以来ないものなのです。それでこの間のアメリカの人……婦人ですが、『ニッポン・タイムズ』の記者で美術評論家でそうとう有名だそうです。その人が世界的の美術館を見て歩いて、イタリアのヴァチカン、フランスのルーヴル、それと箱根美術館を見た感じが、ちょうど同じだ、その他の美術館は大きいばかりで、一種の美に打たれると言うか、なんとも言われない気持ちはない。世界でこの三つだと言うのです。そしてもう一つの箱根美術館の特長は、美術品を見て、遠くを見れば自然の山々が見える。これは世界の美術館で他にはない。また庭園の人工の美を合わせてあるということは特殊な美術館だ、ということを言ってました。そのときは夫人のみだったのですが、その後主人公と一緒に来ました。箱根はしまっていたので熱海だけを見せましたが、主人が言うには、熱海の地上天国のことを書こうと思ってきたが書けない。だから自分は実地に見ろということを書くつもりだ。批評ということはとてもできないと言うのです。それほど雄大な、アッとするようなもので、たいしたものなのです。この間も言ったとおり、日本の西は奈良、京都という文化都市で、それから東は箱根、熱海の地上天国ができてからの文化都市と同じ意味だということを言ってました。そういう意味で、だいたいアメリカに大いに紹介するということを言ってました。奥さんは『ニッポン・タイムズ』の社員で、主人公はNHKの英語放送を担任している人です。それから「NHKの会長の古垣という人はここに来ましたか、どうですか。来ないのはどうもけしからん。これだけのものを紹介しないということはない、行って話しましょう」と言ってましたが、話したそうです。会長は「今度ぜひ見に行く」と言っていたそうですから、いずれ来るでしょう。それから「外務大臣はどうですか」と言うから、「外務大臣はまるっきりそういうことはありません」と言うと「これだけのことをして、将来たいしたものをしている。それを外務大臣が知らないということは実に不思議だ」と言ってましたが、実際アメリカのああいった人はすばらしいものです。ですから私とよく話が合うのです。ところが日本の新聞記者ときたらぜんぜん違うのです。それで、その人が「日本の新聞記者はどうだ」と言うから、「日本の新聞記者はここを見て、救世教のやつはなかなか金儲けがうまいなと考えるくらいだ」と言ったのです。それで、金儲けがうまいというその奥は、とにかく戦後の人心の混乱にうまく乗じて、迷信を巧みに押し売りして金をあげさせるというその手腕は実にたいしたものだという、そういう感心の仕方です。「アメリカのあなた方は、これだけの丸いものとしたら、大きな目をもって見るが、日本のジャーナリストは小さな目で見るから、部分的にしか見えないので正確な批判はできないのだ」と言ったのです。その点においてジャーナリストに限らず、日本の多くの人は、まだまだ島国根性と言いますか、封建性が残っていると言いますか、見方が小乗的で小さいのです。これがいまもって分かるのは、『忠臣蔵』を芝居でもラジオでもやってますが、一二月一四日が討入りの日ですから特にやってましたが、それは聞いたり見たりする人が多いからです。そうすると日本人の思想がだいたい分かるわけです。私はお祭りの余興のときにも、すべて『忠臣蔵』をやってはいけないと言ってますが、あのくらい間違っていることはないです。話は横道にゆきましたが、とにかく四十七人の人間が一生涯の生命を犠牲にして仇討ちをやるのですが、そうすると、それを非常に讃美するのです。あの時代ならそれでよいかもしれませんが、いまそういうことが行なわれるとしたら、いったい人間はなんのために生まれてきたかということです。そうしたからといって、国民や社会に幸福のためにどれだけ役にたつかということです。それで日本人の思想の中から一番に抜かなければならないのは仇討ち思想です。仮に親が殺されると、伜<せがれ>が親の仇討ちのために一生を犠牲にして仇を討つ。そうすると討たれた親の伜がまた仇討ちをする。そのまた伜が仇討ちをする……ということになり、せっかく人間として生まれたその命を、親の仇討ちのために犠牲にしてしまうのです。それが少ないならまだよいが、それがだんだん多くなると、人間は仇討ちのために殺し合い、生命を犠牲にするということになります。そのことを考えてみると、非常に悪いことが分かります。ただ、あの時代はよかったのですが、それも本当によかったのではないので、小乗的善です。その時代の大名とか将軍という主権者が、政権を維持するためですが、大名は自分の勢力と、そういったそうとうな地位、権力を維持するために忠義という道徳を作ったのです。そうして命を犠牲にするまでに、大名の不利益をやろうという者をやっつけて、政権を維持するそのための精神を作る、その手段としての武士道ですから、武士道というのはけしからんものです。それからまた大和魂というものはとんでもないものです。だいたい日本があれだけの敗戦になったのも、大和魂のためです。つまり大和魂を看板にして、それを利用して国民をあれほどの目に遭わせたのですから、とんでもない代物<しろもの>です。というのは、やっぱり小乗的精神だからです。そういう意味において仇討ち思想というものはとんでもないものです。
「『御教え集』三十号、岡田茂吉全集講話篇第十二巻p107~110」 昭和29年01月02日