地天48「教えの光」昭和二十八年五月二十五日(2)

〔 質問者 〕 私が明主様のありがたさを感じますときや、また私がなにごとかを考えて思い当たったと思うとき、私を痙攣せしめ、感泣せしめる祖霊は正守護神でございましょうか、また後者の場合、私を痙攣せしめたり感泣せしめたりするのは、私の考え方が間違いではなく、的中していることを知らしてくれるのでございましょうか。

 また正守護神は、身体のどの局部に憑依しているのでございましょうか。

 右謹んで御垂示お願い申し上げます。

【 明主様 】 正守護神はめったに憑依するものではない。その人に寄り添うているものである。これは御神書にハッキリ書いてあるから、あなたは読み方が足りないのである。従って感激する霊はごく親しい救われた死霊であって、この状態はさほど長く続くものではない。

「『地上天国』四十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p356~357」 昭和28年05月25日