昭和二十八年十二月二十七日(6)

▽前節から続く▽

 浄霊について、病気が良くなるのはどういうわけだろう、ということを聞かれるときに、こういうわけだという簡単な説明を納得がゆくような言い方をする、その一つの参考として書いてみました。

 (御論文「浄霊は科学療法なり」朗読)〔「著述篇」第一二巻七―一五頁〕

 いま読んだだけではちょっと分かりにくいようですが、いずれ『栄光』に出しますから、これをいくども繰り返して読んでいるうちにはっきり分かります。はっきり分かるということは、つまり理屈に合っていれば、はっきり分かるのです。医学書なら医学書をいくら読んでも、はっきり分かるわけがないので、というのは嘘だからです。間違っているからです。医学書よりかこのほうが難しいようでも、本当の理屈に合っているから必ず分かるのです。そうすれば、未信者とかまた浄霊で治った人で、説明を聞きたい人にこれをよく説明してやれば、なるほどと分かります。そうすれば迷いがなくなります。そうでないと、浄霊で治ってありがたがっていても、やっぱり徹底しないから、再浄化や、この次他の病気が起こったときに医者に行くということになるからして、どうしても徹底して本当に分からせなければならないのです。まだ書き方がちょっと完全ではないのですが、なにしろ非常に難しいです。ずっと細かく、科学書のように書くとよいのですが、それでは手数がかかったりするので、なるべく切り詰めて、ごく簡単に急所を説明して分からせるというのが一番よいです。

 浄霊の原理は、そうとうの信者の人でも分かりにくい点があるだろうと思います。その一番分かりにくい点は火素《かそ》の力です。急所というのは曇りです。曇りというのは水素の中にある不純物で、毒粒子ですが、この毒粒子は細かくてとうてい顕微鏡では見られません。それをここ(掌)から出す火で焼くのです。水の中にあるものを焼いてしまうのです。ところがこの場合の水素というのは、ごく微粒子で、希薄なものです。それでこっちから行く火素の熱度というものはたいへんなものです。原子爆弾よりももっと高いのです。だからこの火素の力に遭えば、原子爆弾でも大丈夫なのです。また、それは物質ではないので、物質なら限度があるから弱いのです。原子爆弾でも、その力というのは弱いのです。それでもっとも強い力というのは、もっとも物質的でないものです。要するに目に見えず感じもしないという、ごく希薄であればあるほど力は強いのです。ですから一番強いのは風の力です。風というのは大きな家でも倒したり吹き飛ばしますが、これは一番目に見えないもので、おそらく、どんな大風でも目に見えません。見えるとすれば、それはホコリとか他の物質が見えるのです。風そのものは絶対に見えないのです。その見えないものがそれほどの力があるのです。ですから希薄なものほど強いのです。人間でも、人間の考えがたいしたものです。大戦争をする英雄の頭の「ああしよう、こうしよう」という考えがたいしたものです。スターリンがあれだけ考えていることは、目には見えないから強いのです。それが言葉に出ると物質化してくるから、いくらか見えてくるのです。ですから考えている、それが一番力が強いのです。その考えたものを物質に現わす場合の働きが言葉ですから、言葉のほうはそれ以下ということになります。そういうようで、目に見えないものほど力が強いのです。それで一番目に見えるものの力は馬力という馬の力ですが、これは一番よく見えます。これがいまの浄霊の原理の急所というわけです。

△御講話おわり△

「『御教え集』二十九号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p335~337」 昭和28年12月26日