昭和二十八年十二月二十七日(3)

▽前節から続く▽

 いま美術館ができるほうの土地をいろいろ指図しましたが、これは簡単でして、私が二度行って、一回三〇分か一時間ですっかり指図しました。道についても、もう少しするとすっかりできあがるから分かりますが、これはなかなか難しい所でした。ところが行って見ると自然にそういう形になっているのです。これは神様は前からそういうふうに準備してあるのです。ですからみんなが、ここにこんな立派な道がどうしてできるだろうとびっくりしてますが、それはそういうふうに地形がそうなっているのです。だから簡単なものです。それからいま読んだように、天井の高さにしても、見てちょうどこのくらいの高さがよいというように、すぐに浮かぶのです。それはなんということはないので、決まっているようなものです。高からず低からずです。それから柱も太からず細からずで、チャンと出るのですから、なんでもないのです。それからまた階段の所の手摺《てすり》ですが、ああいう形というのは他にないです。これなども、どういうふうにしましょうかと言ってきたが、私も最初はぜんぜん分からないし、考えてもいなかったので、そこで行ってみると、ああいうふうにチャンとできてしまうのです。それでああしたのです。ところが神様のほうの仕事というのは、みんな非常に楽で手間がかからないのです。あの手摺なども実に簡単なものです。あれなら一番安くできるでしょう。ところが形が非常におもしろいと非常に褒められます。そういう具合で、不思議と言うよりほかありません。そうかといって、そのときにならなければ出ないのです。前からその設計をといっても駄目なのです。私はどうしようかと思っても出ないと止めてしまうのです。その代わり時期が来るとスラスラと分かってしまうのです。こういうことも「神は順序なり」で、こういうことにも非常に順序があるのです。ちょうど土地なども、隣の土地がぜひ欲しいと思っていても、どうしても駄目なのです。というのは、そのときは必要がないのです。ところが必要なときになってくると、先方で買ってくれと申し込んでくるようなものです。それはおもしろいものです。ですからだいたいのことは前もって見当がつきますが、少し具体的に細かいことなどは、そのときにならなければ出てこないのです。そういうような具合で、この秋に会館と展望台ができただけでも、世の中がずいぶんびっくりするだろうと思います。展望台のほうも最初の予定よりもそうとう大きくしました。いよいよ知れるとずいぶん来るだろうと思います。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十九号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p333~334」 昭和28年12月26日