十二月二十七日
事件の判決は新聞でも見られたでしょうが、神様がついているのにどういうわけか。そんな間抜けな、そういうことがあるのはおかしいではないかと不思議に思われますが、これは神様からお知らせがありましたが、人間の考えとはぜんぜん違います。それは救世教が急激に発展したために恨んだりするのがたくさんありますが、そのうちで一番救世教を憎んでいるのはインテリ、ジャーナリストです。「岡田なんて奴は、終戦後の人心の動揺しているのにつけ込んで、うまい教義を作って、瞞して多額の金を巻き上げて贅沢きわまる生活をしている」とか、とにかく新聞雑誌でも非常に収入があって、どうだこうだということを書きたてましたから、「癪に障る、岡田なんて奴は早くやっつけなければならない」という、そういった憎み、それからヤッカミです。とにかく無神論者が新宗教を見る場合には、そういう感情で見る点が非常にあります。このごろはそうでもないが、以前のこっちを書きたてていたときは、まるで仇みたいに新聞雑誌は書いてました。そういうようで、こっちに対するその霊的の妨害はたいへんなものです。つまり悪霊です。それからそのほかにも、各宗教では「自分の所の信者がいつの間にか救世教の信者になった」とか、それからお医者のほうでも「いいお得意だったのが、救世教のほうに行ってから、まるっきり音信不通になった」というようで、いろんな恨み憎しみの想念はたいへんなものです。ですからどうしてもそれを緩和しなければ、発展するのに霊的の邪魔になるのです。それで神様はそれを大いに緩和させなければならないので、ときどきああいった事件を起して評判を悪くさせて、打撃を与えるようなことによってそういう想念を緩和させるわけです。それも、救われてありがたいという感謝も大きいものですが、しかしそれよりも、憎んだり、ねたんだりするほうがずっと多いのです。それはこっちのほうがよほど発展してからだと感謝の想念のほうが多くなりますが、いまのところは黒のほうの想念が何十倍ですから、どうしても負けてしまうのです。ですから今度のような判決になると、彼らは非常に溜飲が下がります。「ざまあみやがれ、これで腹の虫がおさまる」という連中がたくさんあります。ですからそう考えると、結構だとも言えないが、悪い気持ちでもありません。私は人間的には非常に癪に障って憤慨しますが、しかし神様のほうから考えるとありがたい。これがもし無罪の判決にでもなると「いままで以上にもっとアヤカって発展するだろう、畜生」と言うそのほうがたいへんです。それが霊的に邪魔するのです。それですからしてかえって発展が悪くなります。それでそういった精神的の悪いことによってそういう邪魔が減りますから、これからの発展にはかえってよくなります。また今度の判決のような精神的なことは一時的で、時がたてばだんだん忘れてきます。ですからこれからの発展については非常に楽にいくわけです。だから人間の見方と神様の見方とは非常に違うのです。そう考えてくると刑事、検察官、判事という人たちがやったというのも、結局神様に踊らされたのです。ですから神様のほうで、私をそういった罪にするようにやったのですから、それはやりきれません。しかしその代わり、ああいった酷い罪名にして執行猶予にしたということも、執行猶予になれば煙みたいなもので、また仕事の上においても差し支えませんから、私はあの事件はもうすっかりすんだような気持ちです。仕事に差し支えなければよいし、それにかえってプラスになります。神様のほうでは無罪にしたほうがよければ、ちょっと一捻りです。弁護士にしろ被告にしろ、いろいろ証拠をあげて骨折りましたが、常識で言えば当然無罪なのです。それがああいう判決であったというのは、神様の深いわけがあるのです。それは信者の人は分かりますが、信者以外の人に言うとうまいことを言うと思うでしょうが、だいたいそういうようなわけですから、そのつもりで。しかしそういうことは忘れてしまってもいいです。これからいろんな神様のほうの仕組みが出てきますから、本当に力強い発展はむしろこれからいよいよ始まりますから、それを楽しみにしていていいと思います。それで大いに発展する前にはそういった大きな節が非常にあるものです。ですからいままでも、どんなことがあっても発展には少しも影響はしません。しかもいつかも言ったとおり、「散花結実<さんかけつじつ>で、いまは芽がだんだん育っていくときですから、神様のほうは押さえ押さえて、パッといかないようにしているのです。 ですからその目で見るとジリジリと育っていく形がよく分かるはずです。
それからちょっと注意しておきますが、浄霊に力を入れないようにするためには、どうしても指が広がりますが、指が広がると霊が集中しません。これからは浄霊のときには指をくっつけるようにしてください。そうすると非常にいいです。ところが、指をくっつけるとどうしても力がはいりますから、力がはいらないようにしてくっつけることです。