昭和二十八年十二月二十六日(3)

▽前節から続く▽

 この間NHKの英語放送の主任をしているグリリという人が来て、書くつもりで見に来たのですが、あまりに規模が大きいのとすばらしいので書けない、だから批評を書くのを止めた、ただ現場を見ろということだけは書く、と言ってました。それで放送協会の会長の古垣という人が熱海にいるそうですが、始終親しくしているので、この間行って、熱海に岡田という日本では珍しい立派な人がいるのをあなたは知っているかと言うと、知っている。ではなぜラジオで紹介しないか、変なアラばかり見つけて、なぜこういうことを放送しないかと言ったところが、なんとか考えるから待ってくれと言っていたそうです。だから来るかもしれないと言ってました。それから、外務大臣が会いに来ていろいろ感謝の意を表して、今後のいろいろな計画とかを聞き、とにかく外務大臣が大いに関心を持つものだが、そういうことはありませんかと言うから、ぜんぜんそういうことはないと言ったのですが、そういう話がありました。またその人の奥さんというのが偉いのです。奥さんは『ニッポン・タイムズ』の記者をしているのですが、実に観察が鋭いのです。私がアメリカの人はすばらしいと言って褒めたところが、日本の新聞記者はどうかという話が出て、日本の新聞記者とすれば「救世教のやつは新宗教で新しいくせに、よくこれだけ儲けやがったな」「実に金儲けがうまい」と、そのくらいなものだと言ったら驚いてました。つまりアメリカの人は、大きなものを大きな目で見るからよく分かるのです。ところが日本の新聞記者は、大きなものを小さな目で見るから……一部分で見るから分からないので、これはまったくそうです。日本の新聞記者を非常に悪く言ったが、ここにはいないでしょうが、いるとすれば気持ちを悪くするでしょうが……。ですから、大きい中には欠点もあるでしょうし、気にくわない点もあるでしょうが、気にくわない点だけを見つけて、これを新聞に書くというわけです。そういうようなわけで、日本人には島国根性というものが多分にあるのです。だから政治でも経済でも、どうも大局を見ないで小さい所を見るから、そこで争いということになるのです。両方でアラを見ているのです。私はよく言うのですが、新聞記者に「日本の政治家というのはヤクザと同じだ。ナワ張り争いとか、ともすれば腕を振るうということは、それと少しも違わない」と言うと、これにはみんな感心してます。だから吉田とか重光とかいっても、親分と言ってますが、これはヤクザ気分が多分にあります。よくナワ張り争いと言いますが、これは昔ヤクザ連中がやったことです。だからヤクザというのは喧嘩が商売ですから、いまの政治家はそれによく似てます。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十九号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p327~329」 昭和28年12月25日