▽前節から続く▽
そこで、近ごろ美術ということに対する社会的の関心を非常に持たれてきました。だから新聞で美術とか美術展覧会とかを扱わなければならないようになってきたようです。そういうような具合で、とにかく美術熱というものが非常に高まってきてます。これは日本ばかりでなく世界的で、外国でも非常に美術熱が高まってきて、特に米国などは非常なものです。それで私は将来米国で東洋美術、特に日本美術を紹介しようと思って、その方法を考えています。それには、なんでも来年あたりロックフェラーなどが来るかもしれないということを言ってましたが、そうしたら箱根美術館も見せて、私が話をしようと思ってますが、あの人が力を入れると、金はいくらでも出しますし、また非常に美術が好きだそうで、特に日本美術は好きなのですから、いずれは日本美術を主にしたものを、と思ってます。今年米国でやりましたが、あれはどっちかというと、国宝的、仏教的の物を主にしてあるのですから、どっちかというと官僚的美術品です。私はそうでなく、つまり民衆的美術品というものの展覧会を米国でやれば、非常によいと思います。それは私の手でもできないことはないのです。というのは、今年アメリカでやったのは、一口に言えば堅すぎるのです。とにかくだいたい藤原以前あたりのものが非常に多いのです。足利、桃山、元禄あたりのものは、ごく少ないのです。民衆の芸術は元禄以後なのです。それまではその時代の権力者が楽しんだ美術品なのです。ようやく徳川中期から人民が楽しむという美術ができたので、それが非常に華やかだったのが元禄なのですから、つまり元禄以後の民衆芸術というものを、大いに世界的に知らせる必要があるのです。ところがいままでは本当の浮世絵だけだったのです。これは逸早《いちはや》くヨーロッパあたりまで行ったのですが、他の物はほとんど行かなかったのです。というのは、大名などの方面に秘蔵されていたのです。それが終戦このかた散らばって出てきたために、私なども手に入れることができたのですが、そういうようで、日本美術の、古代美術でなく中世紀以後のものをそうとう集めて、多くの人に見せるという必要があるのです。そういうような意味で、救世教もそういうことが一番手っ取り早いですから、その面から世界的になるわけです。そうして他の方面の救いのほうは、とにかくよほど、なんというか、一つの比較、つまり美術の方面でもたいしたものだということの信用を得て、他の救いのほうをしたほうが、つまり導きよいと言いますか、仮に医学のほうでも、農業なら農業のほうで自然栽培が日本中に知れ渡るようになれば、そこで救世教はたいしたものだということになり、そこで「薬は毒だ」ということが耳に入りやすくなるのです。これは万事神様がやっているのですから、別にそういうふうに考えることはいらないのですが、救世教が美術に非常に力を入れているということも、そういうようなわけです。このやり方は、やはり救世教ばかりでなく、たとえてみれば、聖徳太子が仏教を開いたときもやっぱりそのやり方です。それによって奈良という、ああいう仏教美術の都市ができたわけですが、これは聖徳太子がとにかく仏教を弘めるについて、そういうやり方をしたわけです。それがまた日本の美術に対する大きな功績になったわけです。とにかく日本のあらゆるもの……そういった美術ばかりでなく、音曲でも舞踊でも、結局仏教から出てます。つまり仏教が極楽浄土の形を現わすということが芸術を作った始まりです。それで歌舞音曲《かぶおんぎぎょく》というのは極楽の相です。そこで法隆寺というのは七堂伽藍《しちどうがらん》を写したものです。それから祀園精舎《ぎおんしようじや》ということは、一つの天国の、芸術……歌舞音曲といったものを現わしたものです。それはむしろ藤原期以後京都を主にして始まったのですが、それも結局、因《もと》はと言えば聖徳太子の仏教芸術が発展したものです。それからヨーロッパでもそうで、なんといっても、さっき言ったイタリアのヴァチカンのローマの文化というものは、キリスト教を主にしてできあがったものです。たとえてみれば、奈良の大仏にしても、もし信仰の力がなかったらあれほどの物はできません。それから支那においてもそうです。支那の最初の始まりは三千数百年前の殷《いん》で、それから商《しょう》、周《しゅう》という具合に発展してきましたが、その時代の物を見るとみんな仏器です。つまり仏様にあげる香炉《こうろ》とか花活《はないけ》とか、いろいろな器物がそういった道具で、それから発達しているのです。それで一番さかんになったのが魂《ぎ》の時代……つまり六朝《りくちょう》時代ですが、このとき仏教芸術が非常にさかんになったのです。ですから支那の仏教芸術というものは、みんな魂の時代の物です。それから、その後の唐《とう》時代から陶器が非常にさかんになりましたが、それはみんな銅器が基本になっているのです。ですからやはり仏に関係したものです。そういう具合で、芸術というものは、やはり宗教から出ているものです。だから救世教が美術に対して非常に関心を持っているということは、古い時代からそうなっているのです。それで芸術というものは、やはり天国を現わすものなのですからして、宗教が基礎になるということはあたりまえなのです。それでただ、その時代時代によってやり方が違うだけです。それで私がやっていることは二〇世紀の時代に合っているわけです。ですからいままであったのは、古い時代の何百何千年前のやり方です。ところが新しい時代、要するに科学文化の時代には、そういった宗教的のものはまだなにもできてないのです。そこに救世教が率先してやったわけです。そこで箱根、熱海の地上天国がそういった新しい時代のやり方、形式、そういうものを表現したわけです。ですから今日でも宗教建築というと、おそろしく古い時代のものをやり、みんなそういった頭になってますから、救世教のような、ああいったハイカラなもの……ガラス造りの家をこしらえるということなど、おおよそないのですが、これはできてあたりまえです。ただ救世教が先鞭をつけたというわけです。ですから、これからやはり、それと、救世教は宗教ばかりでなく、世界的に地上天国を造るというのですからして、その規模、計画なりが、いままでのものより大きいのです。一宗とか一国だけというものではないわけです。しかしそれも計画だけではないので、実際に造るわけです。ですから神様のほうでは、地上天国というものを世界中に造られるわけです。これは救世教だけがやるのでなくて、その国の人が造るわけなのです。これは将来の話ですが、とにかくこれからそういうふうに、いろいろなことがいろいろな国にだんだん繋がって発展して行くのですが、これはいまはそうなっておりませんが、霊界においてはほとんどできあがっているくらいなものなのです。だからだんだん……時です。それで、スピードというものはだんだん早くなり、大きくもなるものです。ですからこれから非常におもしろく、張り合いがあるわけです。
△御講話おわり△