十二月十五日
いま出がけにラジオの「学校新聞」というのをちょっと聞いたところが、おもしろいことを言ってました。アメリカの学者のだいぶ根拠のあるような研究ですが、地球ができてから五四億年たったというのです。それはそうとう根拠があるのだそうです。そうするとお釈迦さんが言われた五十六億七千万年の後にミロクの世ができるというそれが、やや合ってくるわけです。五四億ですから、もう二億何千万の違いさというわけで、ちょっとおもしろいと思いました。それから地球は年々暖かくなるということで、いろいろな例のことを話してました。デンマークの王室地理学会、チリの学者、スウェーデンの学者など、各国の科学者の報告で、地球はよほど暖かくなっていろいろなことにそれが出ている、ということを言ってます。それでヨーロッパの北のほう、北極のほうの氷が非常に溶けて、以前はそこを航海することはできなかったのが、近ごろは船が航海できる期間が、一年間に三、四週間くらい長くなったということだとか、それから北のほうに住む動物の数がだんだん増えてきたというようないろいろな例がありました。そういうようで暖かくなったということは、たしかです。というのは、それだけ火素が増えたのです。だから霊界が昼間の世界になりつつあるということは、もう確実と言っていいです。
ストライキはいま一番困っている問題ですが、それについてちょっと書いてみました。
(御論文「信仰とストライキ」朗読)
〔「著述篇」第一〇巻七二〇―七二三頁〕
それから浄化作用について、お蔭話などでちょっと間違えることがあるようですから言っておきます。浄化作用というものは、どうしても一度は毒素が固まるのです。ですから浄霊をしますと、固まりかかったものが、そのまま溶けることもあるし、毒によっては浄霊するとよけい固まることがあります。よけい固まって溶けるのです。よく浄霊すると熱が出ますが、それはよけい固まって熱が出るのです。これは万物一切の物質はそういう順序を経て浄化するのです。ですから中途半端でなおすということはあるにはありますが、それは毒の性質と、そのときの体の状態によっては、固まらないで溶ける場合もあるが、だいたいの原則として固まって溶けるのです。ですから肩が凝って苦しいというときに浄霊すると、かえって肩が凝ったり固まったりすることがありますが、その意味を知っておくとよく分かりますから、まごつくことはありません。
それから分かりきったことで気をつけないことが大いにあります。それを分かりやすく書きました。というのは、いま社会衛生とかいろいろなことがおそろしく人間を壊れ物扱いにしています。それを医学の進歩と思っているのです。だから大事に大事にして、屁のようなことでも「こういうようにしろ」とか「ああいうようにしろ」とか指図しているのですが、これは実にナンセンスなのです。それを分かりやすく書きました。
(御論文「本教信者の幸福」朗読)
〔「著述篇」第一〇巻七二七―七三〇頁〕
次のはいまのに関連したような論文です。
(御論文「善意の罪悪」朗読)〔「著述篇」第一〇巻七二四―七二六頁〕
それからこの間もちょっと話しておきましたが、中国の紅卍字会<こうまんじかい>が非常に困っているのです。それで先方では提携ということですが、実際は救いを求めてきたようです。それも神様がそういう具合にしたのです。それで今度小田原の別院の一部をそれに使わせようと思ってます。ただ紅卍字会は、おもしろいことには神様の在る無しがすぐ分かるのです。ですから救世教のほうでは、お蔭とか、奇蹟とか、浄霊すれば病気がなおる、ということで神様があることが分かります。ところが紅卍字会のやり方はまた別なやり方で神様を分からせるのです。これはいずれ小田原でやりますが、長方形のテーブルの向こうとこっちに人が立っていて、T字形の棒を両方で持っているのです。そうして砂盤<さばん>といって四角の薄いお盆をおいて、その上に平らに砂をいっぱい置いておき、T字形の両方を持っていると、これが自然に動いて字を書くのです。ところがその字を書くのがとても早いのです。両方で示し合わせて書くとしても、ああ早くはいきません。ですから神様が書くということが分かります。そうして持っているほうは軽く持っているのです。そうすると、こっちで見ていて、一つ一つつないでいくのです。そうするとそれが文章になっていくのです。それで最初やる前にはすっかりお祈りをするのです。祝詞のようなものを奏げて、中国人はこういう具合に手が見えなくなるようにして三拝九拝する。これは三回ずつ三度して三、三、九度するのです。そうしてそれから始めるのです。そのときに立派な椅子を置くのです。それにはだれもかけてませんが、そこに神様がおかけになるということになってます。霊眼でみる人もあります。ですからたしかに神様がそこにおかけになるに違いありません。その神様というのは至聖先天老祖<しせいせんてんろうそ>というのです。その神様が指図命令なさるのです。いまはだいぶ変わったようですが、以前はキリスト、釈迦、孔子、観音、弥勒。マホメットはなかったようですが、とにかく七つの神様が代わる代わるおかけになったようです。私は見たことがありますが、二〇年ばかり前に日本に紅卍字会の幹部の人が一八人か来て、私が経営していた麹町の大本教の分所で初めてやったのです。私が行ったときは観音様で、「観世音菩薩、汝らに告ぐ」ということで、それからいろいろなことが出ました。ですからそこに出るのはいろいろな教えとか予言とかです。予言というのは密訓といってますが、それは秘密で公開できないのです。これはよほど前ですが、蒋介石がいばっていた時分の密訓で、蒋介石が亡びるということが出たのです。秘密にしていたのですが、なんでも知れたらしくて、ずいぶん調べられていろいろなことがあったようですが、たいしたことはなかったらしいです。そのときはそういう気振りもなかったが、結局こうなってみると密訓は恐ろしいくらいなものです。それから今度小田原でやるでしょうが、粉だと思いますが、いろいろな絵の具をまぜこぜにしておくのです。それは筆を使うのかどうかよく分からないが、一遍にパッと拡がって絵になってしまうのです。それは実にすばらしいものだそうです。実に神秘です。私が見たときは筆の先で字を書いて、そこに列席した人に配りましたが、そのときおもしろいことは、私に大きな「浄」という字を一字くれたのです。それで横に小さく「岡田茂吉」と書いてあった。それを表装しょうと思って経師屋に出したら、経師屋がなくしたらしく、私もそれきり忘れてました。いまになってみると、私は「浄霊」ということが必要な仕事ですから、そのときに神様が用意されていたのです。その字を書くというのは神様がやられたということは一目で分かります。一字書くとトンといきまた一字書くとトンといく、それが文章になるのです。だからこれも私は、利用というと安っぽくなりますから利用とは言わないが、神様があるということを見せるという、そういう一つのやり方で、これも必要なのです。これはインテリなどが見ると一番よいです。病気がなおるというのは、時節が来たからなおったとか、いま薬が効いた、といえば言えますが、これは目の前ではっきりするのですからこれはいいなと思ってましたが、いよいよそれをやることになるでしょうから、一つの方法として非常にいいと思います。これは分かっているのですが、約二〇年前の昭和五、六年のころに紅卍字会の人たちが、いまの芝の浜離宮の庭で写真をうつしたことがあります。そのときに紅卍字会の信者が一八人か並んで、その隣に大本教の信者が十数人並んでいた。そうしてこれから写真をうつそうというときに、ちょうど私がそこに着いたのです。そうしてヒョッと見るとみんな整列しているのですが、富沢という信者で代議士かでしたが「いまうつすから、岡田さん早く来給え」と言うから、私も「ああ」と言って立ったところが、すぐ写真がうつった。その立った所が紅卍字会と大本教信者が並んだちょうど真ん中の一番前に立ってうつったのです。それで私は、いまに紅卍字会は自分が支配するのだなと思ったのですが、それがだんだん実現する段取りになってきたのです。それで紅卍字会というのは、旗印は赤い卍です。あれは右進左退のほうの逆卍です。それで紅卍字会というのは、二十何年前に中国の済南<さいなん>という所の在で百姓のじいさんが神懸りになって「道院<どういん>」という宗教を作ったのです。これは本当に拝むのが主なのです。そうして紅卍字会というのは、体的の救いをやるために右進左退の逆卍になったのです。それで私のほうは左進右退です。前に金Φというのを作って、最初の雑誌を作ったのですが、その表紙に金のΦを作ったのです。そうして金Φ教会というのを作ろうと思ったのですが、いろいろな事情ができてやることができなかったのです。そうこうするうちにヒトラーが黒Φをつけた。これは逆でなく本当のΦですが、斜めになってます。それに黒ですから、黒は悪です。そうして斜めですから正しくはないのです。黒Φは悪ですからナチスは駄目だと思ったのです。そういうこともありました。紅卍字会というのは、結局将来中国を救うその主力になるわけです。それでやっぱり私が指図しなければ駄目です。そうなると、おもしろいのは扶<フーチ>ですが、扶によってできるのですが、これは一名壇訓と言うが、一般には扶と言ってます。これは支那の古い時代にあったのです。それで巫<みこ>という字がありますが、これはそうなってます。人が二人でこれを持っているという形がこれに出てます。だから支那の何千年か前にあったに違いありません。おそらく漢以前でしょう。漢以後は物質的になったのです。そこで漢方薬と言いますが、漢方薬というのは漢の以後にできたのです。だから漢以前には薬を使わなかったのです。これについてはまだいろいろな話がありますが、時間がないからだいたいを話したのです。来年からインテリ階級に神のあるということを知らせる仕事ができるから、そういう方面に開けるというわけです。