▽前節から続く▽
それから私は始終原稿を書いてますが、ふつうの原稿……あんまり特色を現わさないような原稿は、わけなくおもしろいように書けるのです。それから歌などは、わけなくいくらでもできるのですが、ただ論文になると実に難しいのです。まるっきりいままでとは違い、いままで絶対に信じていたものをぜんぜん逆に書くのですから……。いままでのものは嘘で、私の書くものは本当だというように思わせるのですから、反対のものをそうでないと思わせる、そこが非常に難しいのです。そういったことを書いてみました。
(御論文「私の文章とその他」朗読)〔「著述篇」第一一巻六七一―六七四頁〕
浄霊医術について、これは結局どういうふうにすればよいか、どういうふうになるか、ということを書いたのですが、かなり徹底したわけです。
(御論文「浄霊医術の実験」朗読)〔「著述篇」第一一巻六七六―六七八頁〕
つまり結局において日本人の卓越性を世界に知らせることなのです。そうして日本のやり方によって初めて、本当の文明が生まれて、世界人類は救われるのです。それで本当のことを言うと、日本人というのは、人類のうちでは非常にすばらしいのです。ところがいままでは埋《うず》もれていたのです。これは世界が始まって以来決まっているのです。日本人が世界をリードするということに決まっているのです。それを間違えて、戦争で暴力をもって八紘一宇《はつこういちう》だとか言って覇権を握ろうとした、これがたいへんな間違いです。だから酷い目に遭ったのです。それの目的のために天皇を利用した結果は、天皇が御退位にというまでなったわけです。それを、そうでなく反対の平和的に日本が世界をリードするというわけです。世界のすべてのやり方、要するにいまの文明ですが、この現代文明というものは、枝葉の神様が根本となって今日の文明ができあがったのです。だからいくら進歩しても本当の幸福は生まれないわけです。それだけの資格がないということは、病気を治すにしても、霊力……霊的力《ちから》がないのです。そこで物質で治そうとして、機械や薬を発明していろいろやっているのです。ところが日本人は一番位が高いのですから、こうやって病気が治るということは、つまり位が高いからです。それで日本人のうちにも、本当の大和民族と、一番多く入っているのが朝鮮、支那ですが、その民族もあります。そのうちで大和民族が本当の神様の直系なのです。そこで霊力があるとともに、すべてのやり方が本当の真理に合っているというやり方です。それで神様は、いままで番頭や使用人が作ったやり方を、今度は神様の直系である主人公が本当のことを教え、本当のことをやる。そうしたらすばらしい世界ができるわけです。しかしそうするには道具立てや、また物質文化、そういうものが必要だから、それをいままで神様がやらしていたわけです。だからこれまでにできたわけです。これからは本当の主人公、根本の神様が、いままでできたいろいろな文化を使って、人を殺すための原子爆弾を人を活かすための、もっと便利なもの平和的なものにするとか、爆弾を落とすための飛行機を、それを止めて人間を運ぶ道具にするというように、いままで使ったものを平和のため善のために使うという、それが救世教の役目なのです。ですからそういうように見ると分かるわけです。ですからいままでのものは無駄ではなかったのです。やっぱり神様は必要があって造ったのですが、それに魂……本当のものを入れないために良い働きをしなかったのです。ですからいままでのことを悪く言うこともいけないのです。それを良いことに使えば非常に良い働きをするのです。必要な働きをすることになるのです。そういう根本として一番肝腎なのが病気をなくし人間を健康に育てることです。健康にすると、つまり霊的に人間が違ってしまうわけです。だから救世教信者になると人間が違ってしまうということは、そういうわけなのです。これは、私はこれから書くつもりですが、いままでいろんな良い物ができても、みんな悪に使う。それで悪というものは、なにによって発生するかというと、その人の霊の曇りです。それで霊が曇るといろんな動物霊……副守護神の力が強くなるから、悪いことをするということになる。その霊を曇らせるのが薬です。薬で血を濁し、血が濁るから霊が曇るというわけです。ですから悪を作ったのは薬です。それによって曇りが増えると、霊的の地位が落ちますから、そこで不仕合せが起こるというわけです。人間の運が良くなるのは、霊的の地位さえ良くなれば運が良くなるのです。そういうわけで、人間の不幸、悩みは人間の霊の曇りが根本であるし、それから悪というものがやっぱり薬によって発生するのですから、根本はやっぱり薬ということになるのです。その点を解消すればミロクの世はできるのです。それでこれは口で言えば簡単ですが、そうなるとして薬屋とか肥料屋とかがたいへんなのです。これは理屈ではそうなのですが、実際は自分の死活の問題ですから、なかなか簡単にはゆかないのです。そこにまたいろんな障害を突破しなければならないのです。しかし、なにしろ神様がやられているのですから、時の推移によって一歩一歩、ちょうど太陽が出てだんだん昼間のようになり、明るくなるようなものです。
それからこれはぜひ知らなければならないことですが、いずれ『栄光』に出しますが、読ませます。
(御論文「私の光に就いて」およびお蔭話朗読)〔「著述篇」補巻三、六六八―六七〇頁〕
△御講話おわり△