▽前節から続く▽
さっきも言うとおり、日本を東西に分けるとして、京都、奈良に匹敵するような物ができるとしたら、あっちのほうは一〇〇〇年以上の歴史を持っているのですが、こっちはできあがったところで一〇年でしょうが、一〇年でそれと匹敵するような物ができあがってしまうのですから、なんと言ってよいか、あまりに神様のすばらしい力に、ただ驚くばかりです。それについて日光ということをよく言いますが、日光は外人はあまり重きをおかないのです。前に外人の書いた批評にこういうことがありました。「日光は立派なものだが、オモチャのようなものだ」と言ってますが、それはそうでしょう。ただ金をかけて、徳川氏の勢力を見せるために作ったものであって、そこに本当に高い芸術性……高い知性というものはないのです。ただ徳川氏の威力を見せようという一つの根本的考え方が違うわけです。それで奈良、京都は信仰的につまり荘厳なありがたい、そういったような観念を植えつけるというそれが目的で、またそういったような信仰的信念があるために、後人が一生懸命になったというために、ああいった立派なものができたのです。それが根本的考え方です。それで私のほうは……東洋美術も入ってますが……日本美術のすばらしい芸術的効果を、多くの人に見せて楽しませて品性を向上させるということと、いまの文明というものは便利になり、科学的にいろいろそういった方面の生活やなにかに非常に貢献するということは結構だが、美によって文明に役立つということが、いままで非常に閑却されていたわけです。それはいままで戦争とか、そういったことのために十分に発揮できなかったという点を、私のほうでは要するに、欠点を補うという意味で立派なものを造るということが根本ですから、京都、奈良のほうとは違うのです。そこにまた時代的に効果があるわけです。それがいま言ったとおり、わずかの間にできてしまうのだから、神様の力たるや実に驚くものです。 来年は会館と展望台ですが、展望台のガラスの家は「水晶殿《すいしようでん》」という名前をつけたのです。これは英国に「水晶宮」というガラスの家があるのですが、水晶宮と言うと、あまり立派過ぎるから「水晶殿」という名前にしたのです。これは予定よりか大きくして、一〇〇人ぐらいが一度に腰掛けて景色の鑑賞ができるわけです。それからガラスは六尺幅の曲線にして、それを接《つな》げて丸くします。それで、ガラスはチカチカして見にくいのでプラスチックにしました。これは会館と一緒にできることになってます。ちょうど会館の鉄骨が余っているので、それを利用すると割合に安くできます。これだけでもできたらたいへんだろうと思います。どんな人でも一遍は見たいですから、これは美術館以上の魅力があると思います。それから美術館のほうは箱根のちょうど倍の大きさにして、いろいろな点において箱根の経験でよく分かりましたから、すばらしいものを造るつもりです。
▽次節に続く▽