▽前節から続く▽
それから私の文章は非常に難しいのです。なにしろいままで習ったことや世の中のことと、反対のことが多いのですから……。その反対のことを理解させ信じさせるのですから、一番難しいと思います。それについて書いてみました。
(御論文「私の文章とその他」朗読)〔「著述篇」第一一巻六七一―六七四頁〕
これは浄霊医術に対する、いずれは出てくることを想像して書いてみたのです。
(御論文「浄霊医術の実験」朗読)〔「著述篇」第二巻六七六―六七八頁〕
いま読んだとおり、いずれはこういう時期が来ますが、こういうことは当局でもよく分かっているのです。なにしろ『栄光』新聞はもう三、四年ぐらい前から発行するたびに五部ずつ送ってますから、厚生省の偉方《えらがた》も読んでいるに違いないです。ですから腹の中では「これに違いない」と思っているのです。もし間違っていると思ったら、こっちになにか言ってくるはずです。ところがこっちに言ってこないところをみると、なにも言うことはできないとすれば、否定することはできないというわけです。それで、これは自分たちのメシのくい上げですから、それまでやろうという勇気はないのです。ということは、それだけの良心も正義感もないからです。無事に生きておれば良いという酔生夢死《すいせいむし》的の人間が大部分なのです。しかし新しい発見とか学理というのは、その時代に非常に反対であり、その時代から離れているということに決まっているのですが、またそれだけ値打ちがあるのです。だからなかなかたいへんな仕事ですが、しかしここに難しい点があるので、つまり私が宗教家だからして、宗教を見る色眼鏡が邪魔してしまうのです。ですから難しい点はあります。ところがまたいっぽう、団体が大きくなればなるほど、団体の力をもってやるという良い点もあるのです。しかも、例えば医学革命という、これほど大きな革命はいままでなかったのです。これは全人類のことであって、一国や一思想というものではないのです。そこに非常に大きな点があるのです。さっき言うように、私の書くのが難しいように、非常に難しいし、また非常におもしろいのです。ですからこんな途轍もない仕事を神様が私に命じられたということは、自分ながら不思議な人間だ、いったいオレという者はナンテ変わった運命に生まれたものだと始終思いますが、そうかといって、これができあがればたいへんなものですし、またできあがるに決まっているのです。それは、すばらしい絶対力を持っている神様がやっているのですから、さっきも書いたようなとおりに、私はなにも苦心はしないし、いろいろ考えたり悩んだりすることなく、ただその日その日ぶつかってきたことや、思いついたこと、浮かんだことをやっていれば、ドンドンうまくゆくのですから、実におかしい話なのです。
▽次節に続く▽