昭和二十八年十二月六日の御講話(1)

一二月六日

 この間の『ニッポン・タイムズ』という外字新聞に、箱根美術館の紹介のようなものを写真入りで書いてます。外人の見方は日本人とは変わった点があるので読ませます。

 (昭和二八年一一月三〇日付『ニッポン・タイムズ』紙掲載の記事朗読)

 これには書いてないが、この人が言ったことで、こういうことを言っていたそうです。いま書いてあったフランスのルーヴル、イタリアのヴァチカンなどと違う点は、箱根美術館は室内の人工美を見て、外は天然の木や石や、そういったものを人工的に扱ったものを作ってある。それから、その先のほうに本当の自然美、天然の山とか海が見える。こういう三つ揃ったのは世界でここだけだ、ということを言っていたそうです。それからもう一つは、日本を東西に分けて、西のほうは京都と奈良で美術を味わい、東のほうでは箱根、熱海が今度できる。そうすると東西の両文化財の集めてある所というようになるだろう、ということを言っていたそうです。この人はアメリカの婦人で、美術評論家で、『タイムズ』の記者をやっているのです。ですから美術に関しては、なかなか眼識があるのです。そういう見方などが実によく私の狙い所とピタッとしているのです。ところが日本の新聞記者なども来たり新聞雑誌に出しましたが、その点を見破る人は一人もないのです。だからその点においては、まだ日本人は小学生みたいなものです。だいたい日本人はいままで、伝統的に視野が小さいのです。大局から見るという、そういう癖がないのです。その癖をつけなければいけないのです。アメリカ人などはすべて大局から見るのです。世界的見地から見るというそのために、一度見て私の考えていることと合っているわけです。私は、分かっているとおり、すべて世界的に見ますから、それで、そういうふうに見るのです。物事の真相……本当のものはそこに現われるのです。ところが、どうも日本の新聞記者というのは「こういう立派な物を造ったというのは、よほど儲かるな」とか「新興宗教というのは、よほど金儲けがうまいな」とかいうように見るのではないかと思います。それで「なにか特殊のうまいことで人を引きつけて、こういうことでおどかしやがる」「とにかく岡田という奴は怪人物だ」とかいうように悪意を持って見るのです。公平に見ないのです。これは、新聞でも悪いことを書かなければならないように、ただまじめに書くということはいけないようになっているのです。つまり良いことを褒めればよいのですが、あんまり褒めたり感心したりして書くと「奴は金をもらいやがったな」となるのです。特に宗教的のことはそうで、新聞の宗教宣伝はいけないとなっているのです。これは、宗教宣伝がいけないとかいけるとか、褒めるとか褒めないとかいうことではなくて、本当に良いものは良いとし、褒めるものは褒めるという公正な見地にならなければならないのです。しかし彼らは、なにかおかしなものが邪魔するのです。これは島国根性がいけないのです。これはこういうことばかりでなく、政治でもなんでもそうですが、特に政治家は酷いです。なんでも、国民の利益とか社会が良いとか悪いということには、ほとんど関心を持たないのです。「わが党はいかに頭数を増やすか」「わが党はいかに早く政権にありつけるか」「いかに法律に触れないように金を集められるか」ということばかりを考えているかのように見えるのです。そうではないのでしょうが……。ですから、とにかく本当に国家国民のためになるということを、ぜんぜん考えないのかと思うようなことがあるのです。酷いのになると、日本人の中に日本人かロシア人か分からないような人もたくさんあります。日本の利益よりかソ連邦の利益のほうを考えているような行動をしているようなのがありますが、これはどうもおかしいのです。日本人でありながら日本の軍備をなくしたほうが良いと言うのですが、そうするとソ連が日本を侵略するときには、それは楽です。それでソ連も軍備をなくするのなら結構ですが、ソ連は原子爆弾をドンドン作っていて、日本を無防備にしようとするのですから、そうなれば、ひとたまりもないです。それをいばってまじめで言っているのですから、「あなたの国籍はどこですか」と聞きたいくらいです。それを新聞などで堂々と書いているのですから、不思議な国です。私は霊的のことを知っているからよいのですが、霊的のことを知らなかったら、実に不可解な国というよりないです。

 これは私はいつか書いたことがあるが、日本人の中には、昔コーカサスから渡ってきた民族があり、これが日本の土匪《どひ》……熊襲《くまそ》……川上梟帥《かわかみたける》とか八十梟帥《やそたける》というものですが、そのうちの一つがアイヌなのです。これがだんだんあっちに押し込められて亡びつつありますが、その霊的の系統がみんな共産主義者になっているのです。祖先はロシアから渡ってきたのだから、本国の利益を図るということはあたりまえです。それが分からないと、実に不思議と思うよりしようがないです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十九号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p276~279」 昭和28年12月06日