〔 質問者 〕『天国の福音』で、財閥解体に言及してある中に、個人は資本の一割内外が至当であるということでありますが、それはあのときの時勢に応じて説かれたものでしょうか。
【 明主様 】忘れましたが、そうでしょう。いまでもそう変わりはないでしょう。あれは平均です。
〔 質問者 〕資本主義、共産主義の二つの異なったものによって世界は二分し闘争しておりますが、結局人間が地上を支配することが間違っている、神の下に……ということでありましょうか。
【 明主様 】そうです。
〔 質問者 〕そうするとミロクの世というのは、神様のご意志はどういう方法で人間に伝わるのでございましょうか。
【 明主様 】それは資本主義も共産主義も、主義と名がつくものはなくなってしまうのです。主義と名がつけば、そこに決めることになり、決めると闘争があるのです。そこで決めなければよいのですが、決めなければよいというのでなくて、本当のことは決められないのです。つまり資本主義があるから共産主義があるのです。ですから共産主義は資本主義が作ったものです。主義と名がつくものがあれば、その反対のものが出るわけです。ところが主義というものがなければ、反対のものが出ようがないのです。善人があるから悪人があり、悪人があるから善人があるのです。ところが 善人も悪人もなくなってしまうからなんでもないです。つまり人間、あたりまえのことをしておればそれでよいのです。ちょうど薬をのむから病気が起る。病気が起るから薬をのむというわけですが、病気がなくなるから薬もいらないというわけで、自然のままでピンピンして働けるわけです。
〔 質問者 〕人間が物事を判断するについて、一つの体系があると思いますが。
【 明主様 】体系というのは科学的のですか。
〔 質問者 〕どういうように考えたら、どちらにも偏らない、神様のご意志通りの判断ができますでしょうか。
【 明主様 】どういうことが善で、どういうことが悪かということは分かるでしょう。分かればそれでよいのです。なにを善悪の標準にするかというと、自己愛で、自己の利益のために人を苦しめ、人に災いを与えるということは悪で、人を良くし、世の中を良くし、自己の利益は第二とし、他人あるいは社会を第一にしてやれば、それは善です。ですからそれで分かります。だからオレがやっていることは、これがために苦しむ人ができるか、楽しみ、幸福になる人ができるかということを判断すれば分かります。人の食う物を取るなら、その人は食うことができないから、それは悪です。そうでなくごちそうをしてやるということは、人が喜ぶから善です。簡単です。体系もなにもありません。あまりに簡単で分かりやすいことで、そこに定義や学問というものを作ることはないです。
〔 質問者 〕社会の利潤ということは、
【 明主様 】公平にやればよいのです。これだけ働けばこれだけやる。それからこれだけ賃金をもらっておれば、それに対してこれだけは働く。というわけで、それは常識で考えても分かるから、それでよいのです。だから屁のようなことをわざわざ難しくして、わざわざ苦しみを作っているのですから、実に情けない、馬鹿な、困ったものです。その馬鹿さ加減といったらないです。ところがその馬鹿げたことが分からないまでに、人間というものは頭が悪くなっているのです。というのは結局において、唯物教育によって、すべて物質で解釈をするというそのために間違っているのです。唯心の、目に見えないものがあるということを無視したからです。これは私の本に書いてあるとおり、半分しか分かってないのです。けれどもそういう具合にしなければ物質文化は発達しないから、神様はそういう具合に分からないようにしたのです。