昭和二十八年十一月二十六日の御講話(3)

▽前節から続く▽

 日本人は世界で一番優秀だということは、勿論太陽の民族で、太陽系だからですが、日本人の中にも支那系と朝鮮系とあるのです。それで真の大和民族というのはごく少ないのです。これは少ないのはあたりまえで、良いものほど少ないのです。神様はチャンとそういうふうに造ってあるのです。ちょうどピラミッドみたいなものです。一番上に行くほど範囲が小さくなってますが、それと同じで、日本人が一番少ないが、一番優秀なのです。そうして日本人の大和民族というのは一番争いを嫌うのです。絶対に争わないのです。戦争を嫌うのです。ですからその真の日本人の中心が私なのだから、私は武器を嫌うのです。私は博物館に行くといつも、刀のある所は脇目もふらないで通り過ぎてしまいます。とても気持ちが悪いのです。だから私は美術品はずいぶん集めるが、刀剣類は一つも集めません。大和民族というのはそういうものです。ですから大和民族が世界を支配するときがミロクの世界です。しかしもっかの人間は、争いが好きな、戦争が好きな……戦争が好きといったところで、やっぱりみんな嫌いなのです。戦争は国家と国家の争いですが、個人と個人の争いということは好きなのです。これが一番分かるのは政治家ですが、政治家ぐらい喧嘩の好きなのはないです。なんでもないことで、穏やかに丸くすむことを、わざわざ喧嘩の材料にするので、見ていると実におかしいのです。いま一番やっているのは、鳩山のほうと吉田のほうとが手を握ろうか握るまいかと、ウンだりツブレたり毎日のようにやってます。鳩山は吉田と仲良くなりたいと言うし、吉田のほうも鳩山のほうか改進党のほうがなかったら絶対多数にならないので、それでは政治はできないから、どっちかを自分のほうと一致しなければならない。しかし改進党のほうは重光がナンダカンダと文句を言って、改進党の党員もいろんな苦情を言って容易に軽く行かない。そこで鳩山に目をつけて、このほうが可能性があるからですが、いまや両方が手を握らんとしていることですが、ああいうことも、至極簡単に行くことです。そうして党員の中にナンダカンダと言って、つまらないことで、理由もなく、面目《めんもく》上かいままでの成り行きかで、変なことを争っているのです。だから戦争は嫌いだが、個人的争いは実に好きです。もっとも、小さくは夫婦の争いですが、おそらく夫婦喧嘩をしない家庭よりも、する家庭のほうがずっと多いでしょう。一〇軒のうちに夫婦喧嘩をしないというのは一軒もどうですか。それから兄弟喧嘩と、実に喧嘩が好きです。そういうようなわけで、これは大和民族が喧嘩の嫌いなそういう民族が、いままで下積みにされていたわけです。そうして喧嘩の好きな系統がみんな上に立ってやっていたわけです。これを神様が平和的に、平和の好きなほうの趣意に賛成するわけです。というのは、やはり平和の力ですが、平和の力というのは、一番おもしろいと思うのは、私がいま書いているのは、殺人原爆……人を殺す原子爆弾……と、活人原爆ですが、私のほうでこうやりますが、これは人を活かす原子爆弾です。ところが、人を殺す原子爆弾はいままで人類にはなかったのです。最近に到って人殺し原子爆弾というのが現われて、世界中に一大恐怖が起こったわけです。ところがこうやって人を活かす原子爆弾も、いままではなかったのです。ちょうど人殺し原子爆弾が生まれるとちょうど同じように、人を活かす原子爆弾が現われたわけです。これは神様もなかなかうまくやられたわけです。ところが人を殺す原子爆弾のほうは形に現われるから、一度に世界に知れてしまったが、人を活かす原子爆弾のほうは、なかなか急には分からせられないのです。しかしながら、なにしろ神様がやっているのですから、世界中に分かるのは決まってます。ただこのほうは少し暇がかかるだけのものです。そこで人を殺す原子爆弾が最後に出て、それから人を活かす原子爆弾が出て、そこで初めて地上天国ができるのです。そういうように考えるとよく分かると思います。そういう人を活かす原子爆弾、要するに平和を造る力というものは大和民族でなければならないのです。そこまで分からせなくても、日本人の優秀性は他の例でもたくさんありますから、私はだんだんそれをアメリカ人にも分からせようと思ってます。しかしそれにはよほど慎重にやらないと、また日本人の奴馬鹿に偉がって、前のようなことでオッ始めるとたいへんだ、というそういう懸念もありますから、どうしても浄霊で病気を治すということが最初です。これをすっかり分からせなければならないのです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p260~262」 昭和28年11月26日