昭和二十八年十一月十六日の御講話(3)

(前節から続く)
 今度の『救世教奇蹟集』の広告について書いてみました。

 (御論文「ジャーナリストと本教」朗読)〔「著述篇」第一一巻六五〇-六五三頁〕

 しかし実際無理はないのです。いま新宗教とか言って世間の注目をひいているのは、いま問題になっている霊友会とか璽光尊とか踊る宗教とかですが、そういうものが表面的に人の目につくような新宗教で、あといろいろありますが、それほほとんど世間には知れてないのです。ただ救世教だけが、ようやくこのごろそういう低級のとはどうも少し違うようだ、ということが分かりかけてきたくらいなところです。しかし救世教の真相というのは、まだなかなか分かっていないのです。特にジャーナリスト方面には分かっていないのです。分かっていないというよりか、分かっても分からないのです。ちょうどいま首を傾げているところです。その代わり、それがウンと下に下りれば、もうしめたものです。それからがこっちは本当に発展できるのです。だからこれもやっぱり一つの首の問題です。しかし、やはり神様がやっているのですから、別にそれほど気をもんだり心配はないので、よいのです。あんまり一度に分からしてはかわいそうだから、なるだけゆっくりボツポッやってやろうというような思し召しだと思います。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p242~243」 昭和28年11月16日