昭和二十八年十一月五日の御講話(5)

 それからさっきの米国の記者のシモンズという人に私が言った中にこういうことがあるのです。つまり地上天国は箱根に小さいのを造った、それから熱海にもできるし、京都にもできる。それからいまにハワイにも造り、それからアメリカ各地にも造る。それからヨーロッパからアジアの各国にも造る。というのは、公園というのはいま世界各国どこにもできている。しかし公園はまだまだレベルが低いから、もっと上等な公園を私は造るつもりだ。だから地上天国というのは世界中の各地に公園のごとくに造るつもりだ、と言ったわけなのです。これを向こうの新聞に出すでしょうが、そうすると、いままでの公園はただ町の中で青いものを見る、あるいは花を見る、あとは子供の遊び場、それから動物園とか、子供的の観覧場で、まだ低いのです。つまり人間に美というものの観念を与える、美というものの信念を養うということが大いに不足しているわけです。そういうようなわけで、ただ人間の憩いというだけの話で、魂を高めるというような設備は実<まこと>にないわけです。ですからだんだん文明が進んでくると、そこにゆかなければならないわけです。要するに公園のもういっそう高級なものです。そういうものを世界中に造るということを、私が始めるわけなのです。けれどもこれはそういうふうになるに決まってます。これが一つの地上天国の重大な要素になるわけです。その一番の皮切りが箱根の神仙郷というわけで、今度は熱海に造るわけです。日本もいずれは京都にもできますし、中京付近にもできるでしょうし、九州のほうにもできるでしょうし、それからがまた、小さいものが北海道とかいろんな所にできるでしょう。ハワイはそう遠くないと思います。いまの勢いで信者が増えると、どうしてもそこへ行きます。それから次はアメリカというような具合でやってゆくつもりです。ほかにもまた、病気とか農業ということがありますが、美ということもとても有意義な大きな仕事です。ですからつまりいままでの宗教でそういうような計画をした宗教はないのですから、だから宗教ではないということは立派に言えるわけです。これは別に私がやるわけではないので、神様がやっているのですから、無論そうなるのは間違いないので、ただ時期です。いまの新聞記者の話のときに「そんな理想世界が実現すると言ったところで、よほど先のことだろう」というように思ってますから、「冗談ではない、私が生きているうちにとにかく基礎だけは造るのだから」と言ったところが、妙な顔をしてました。それから御守りの話が出て、「御守りで病気を治すが、あなたがあの世に往ったら御守りを作る人がないからしようがないでしょう」と言うから、「冗談ではない、霊界からいくらでもそういった力を振るうから、そういうことは別になんでもない」と言ったところが、「ハハア」と首をひねっていました。そういうようで、だんだん救世教というものは注目されてきます。ただあまりにこっちの言うことが違いすぎるので、それを分からせること、なるほどと信じさせることがなかなか骨が折れるのです。分かりかければ早いのですが、なにしろいままでのみんなの頭というものが変な説で固まってますから、それを溶かさなければならないのです。それがなかなか骨が折れるのです。結局、無肥料栽培の自然農法が認められ、それから今度は、さっき言ったとおり医学のほうは駄目だということを、どうしても神様が分からせますから、そうなってからならこっちの言うことがスラスラと頭に入るわけです。しかしその前に、それについて働く人間が多くならなければならないから、そういう人たちが現在の信者さんなのです。神様はうまくやります。それで話の分かる人と、なかなか分からない人……一言話しただけでたちまち共鳴する人と、どんなことをしても駄目な人と両方ありますが、これは人種的関係があるのです。今度この人種的関係をよく話しますが、そうするとはっきりします。今日はこのくらいにしておきます。

△御講話おわり△

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p198~199」 昭和28年11月05日