京都劇場での御講話(4)

(前節から続く)

 ハワイのほうは、始終『栄光』に出しているとおり、非常な勢いで発展しつつあります。いよいよ本部もできました。この間あっちの弁護士で、法人の届けを扱った人が来ました。これは予定の通りですが、許可になりました。その報告と、またほかのことで来たのでしょうが、私は会って聞いて、非常に結構だと言ったのです。法人になりますとすべてがやりよくなります。ちょうど本部ができて、そういったようなことを神様は順序良くされているわけです。ハワイは五つの大きな島から成り立っているのですが、その五つの島の重要な地点にみんな支部ができました。無論ハワイの新しい信者ですが、そういうような具合です。それでホノルルの本部も、とにかく五万ドルで買ったそうですが、非常に安いのだそうです。この間の弁護士の話によると、ちょうど坪一万二、三千円くらいになっているそうです。ところがいまこしらえると坪五、六万くらいかかるだろうと言ってました。だから非常に安いのです。位置も非常に高い所で、眺めもたいへん良い所だそうです。神様が準備してあるのですからあたりまえの話ですが、ハワイの発展は、そういう具合で目覚ましいものがあると思います。五万ドルですと邦貨にして一八〇〇万円ですが、これから少し修繕しなければならないので、そういった修繕費はハワイの信者が全部出すのです。わずか半年あまりでそれだけの発展の成績をあげたということは、驚異と言ってよいくらいです。そういうような具合で、私はいずれ地上天国はハワイから始まるのではないかと思ってます。ハワイがほとんど救世教信者になるということになると、これは大いに世界の注目を受けるとともに、特にアメリカが注目しますから、そうするとアメリカの発展も早くなるわけです。ですからむしろそうなってから日本の人がびっくりして、急に救世教信者になる人が非常に増えると思ってます。ちょうど幕末時代のキリシタン・バテレンのようなものです。というのは『救世教奇蹟集』の新聞広告を出そうと思ったところ、『読売』は出しましたが、『朝日』『毎日』は出さないのです。出さないというより出せないのです。というのは、とにかく怖いらしいのです。つまり迷っているわけでしょう。迷って決定しないのでしょう。というのは、あの「広告文」にしても、ばかに飛躍してますから。たとえてみれば、もうキリストが数十万人できているというようなことがありますから、あれではびっくりしてしまいます。おもしろいことを言いやがる、そうかといって読んでみると本当だ、だからやっつけることはできないが、そうかといって信ずることはできない、といって一人のキリストを拝んでも昔から大騒ぎをやっているところに、キリストが何十万できたというのは、まるで気違いだとしか思えないでしょう。だからけしからんといって調べたところで、本当なのですから、そこで迷ってしまうのです。決定ができないのです。私は以前こういうことを聞いたことがあります。アフリカの土人がなにか落ちている物を見てギョッとして悲鳴をあげたので、いったいなんだろうと思うと、時計が落ちていたのです。これはアフリカ探険に行った白人の話です。時計は動くので怖いと思って逃げ出してしまったのです。ちょうどそれに似ていると言うと、はなはだ相すまないことですが、ちょうど『救世教奇蹟集』を新聞社の人が見たときに、いまのアフリカ土人が時計を見て驚いたのと似ているかもしれません。怒るかもしれませんが、怒ったらまず研究してもらいたいと思います。そうすると怒るべきか怒るべきでないかが分かるでしょう。土人が見て時計だということが分かると結構な物だと分かりますから。そういうようなわけで、とにかく救世教というのはあまりに現代の文化と離れ過ぎてますから、それでかえって分からせにくいのです。ちょうど幼稚園や小学校の生徒に大学の講義を聞かせるようなものです。中学程度ならよいのですが、もっと割引しなければと思いますが、私もいままで割引はしてます。そうかといって本当のことを曲げてまで割引することはできないので、本当のことはやっばり正直に言わなければなりません。ただこうやって病気が治るということが、とんでもない脅威です。だから信じられないというのはもっともです。そこにもっていって新宗教というものの見方がいろいろなのです。いま問題になっている霊友会事件にしても、他の新宗教でも、ずいぶん顔をしかめるようなものもたくさんありますが、そういう目で救世教を見ると、あんなことを言って人を瞞<だま>しやがるが、結局一時的のもので、いずれは化けの皮を剥がれ、ボロを出すだろう、と思っている人もずいぶんあるでしょう。そういう見方をするのも無理はないでしょう。私でも仮に救世教を知らないふつうの社会人とすると、新宗教などは軽蔑して、信ずるどころではないです。やっぱりいまの知識人と同じに違いありません。だから無理はないのです。そこで、それはこういうものだということを知らせるということが非常に難しい問題です。そうかといって嘘ではないので本当なのですから、それを知ったらこんな結構なものはないのです。そういう者は仕合せです。あなた方は非常な幸運者です。先駆者というものは非常に難しいもので、どうしても骨が折れるものです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p223~225」 昭和28年11月10日