京都劇場での御講話(3)

(前節から続く)
 バッジについて、ついでだから話しますが、バッジにこうして丸がありますが、これはこういう意味になります。これでは本当ではないのです。もう一つ貫いているのです。ですからこれを正面から見ると丸になります。そういう意味もあるのです。昔から神道のほうで非常に神秘とされている天津金木<あまつかなぎ>の法というのがあります。この天津金木というのは、古い板にそういったものをこしらえたのです。この四角いものをこういう具合に組んで、そうしてもう一つこうやるのです。こういうものを御神体のように祭ってあるのです。それで天皇が毎年正月元旦にそれに対して祈願するのです。そうするとその年のいろいろな吉凶禍福、そういったものが浮かぶのです。これはまた話が神秘な方面になりますが、天津金木の起こる前というのは、つまり玉座<ぎょくざ>といって、真四角なのです。その時分は畳か板か分かりませんが、そういったものを作って、それは十文字の形になって、その真ん中に神様が坐るのです。それはつまり天照大御神様が統治されたときにそこに坐るのです。そこで目をつぶっておられると、その国のいろいろなことが分かるのです。それが天照大御神様がおかくれになって、その代わりとして天津金木というものをかかげたのです。それが神秘なことで、神道の根本になるのです。神道家でもこのことは知らないでしょう。そういうわけですが、バッジというのは、そればかりではありませんが、そういう意味もあるのです。そういう神秘なことはいずれ話をするとして、今日はこの話はそのくらいにしておきます。
▽次節に続く▽

「『御教え集』二十八号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p222~223」 昭和28年11月10日