名古屋市金山体育館での御講話(4)

(前節から続く)

 時間がないので簡単に話します。もう一つは自然栽培ですが、これは名古屋付近の人はいま一番関心を払われてます。それでまたこの自然栽培の成績が近来になってから中京方面がすばらしい成績をあげたという、これも意味があります。これはいつも言うとおり、とにかく中京ということは東と西の真ん中です。真ん中というのは、東は経で西が緯ですから、やはり経と緯の中心です。そこで始まるということは、これは根本的の問題です。やはり神様の経綸はそういうふうな形で、順序ということになるのです。自然栽培もまず中京から始まるということはあたりまえなのです。それについて思い出されるのは、私が東京で観音教団をやった時分に、渋井さんが地方をやるようになったときに、やはり中京から始まったのです。中京という所は重要な所です。そこで自然栽培の成績がどうしても来月にならなくてはたしかなところが現われないのです。「特集号」を出そうと思って、もっと早くするつもりだったのですが、どうも予想が多い。しかし予想ではおもしろくないので、やはり数字が現われなければならないのです。反に何石何斗何升というようでなければいけないのです。それには来月にならなければどうしてもはっきりしませんから、それを待って、はっきりしてから「農業特集号」を編集するつもりです。それでもって全国的に大宣伝をやってもらいたいと思います。そうすると、ちょうどと言ってははなはだ気の毒ですが、今年の凶作でこれを解決する方法があるかというとないのです。今年はこれでよいが、来年はどうするといっても、こうすればよいというその方法がないのです。それでこうなると心が暗くなって、農民諸君が生きてゆくにも、どうしてよいか分からなくなります。そこに自然農法の今年の成績をもって大宣伝をするのです。これは開いた口にボタモチということになります。そこで急激に自然農法が伝播するということはたしかです。そうなれば政府も動いてくるでしょう。だいたい農民層が大勢ワッと来ますから、これは文句ありません。ですからそうなると、全国的に救世教はたいしたものだ、ありがたいことだ、ということになって、一遍に分かります。

 いまはアメリカの話、ハワイの話、日本の話と、この三つに分けて話をしましたが、いよいよわが救世教が世界的にも日本的にも一歩前進することになるわけです。いままでの長い間いろんな妨害をされ、みんな苦しみに苦しみ、つまり雪霜に堪えてきて、いよいよいまや春に向かわんとする、ちょうど直前に来たような気がするのです。

(御講話おわり)

「『御教え集』二十八号,岡田茂吉全集講話篇第十一巻p218~219」 昭和28年11月08日