昭和二十八年十一月七日の御講話(5)

(前節から続く)
 それから「生きてる宗教」ということを書いてみましたが、他の宗教は死んでるようなもので、救世教だけが生きているというわけですが、それをなるほどと思うように書いたつもりです。

 (御論文「生きてる宗教」朗読)〔「著述篇」第一一巻六四四ー六四七頁〕

 それから医学の間違っているということを見方を変えて書いてみました。

 (御論文「医学は迷信か」朗読)〔「著述篇」第一一巻六五六ー六五八頁〕

 いま書いたとおり医者のほうで病気を治せばそれでよいのです。そうすれば人々は民間療法とか新宗教とか、そういう所に行きやしません。治らないから、しかたなしに行くのです。ですから新宗教がいけないとか、他の療法がいけないということはおかしい話です。ご自分が治せばよいのです。つまり自分が使っている人間に給料をやらないから、ずるいことをするとか、ほかから金を借りるとか、不正なことをして金を得るということになるので、それと同じです。必要だけの月給をやればよいのです。そうすればだれが悪いことをするものですか。ですから医者のほうで病気を治せばよいのです。そうすれば問題はすっかり解決します。治らないのに治るように見せかけているのです。そうして金をウンと取って、結局今度は命までとるのですから、信じろ信じろと言っても信じるわけがないので、しかたがないです。ですから医者が手を握って、他に行くな、お前はかわいがってやると言って、横面を張るようなものですから、それではだれでも逃げてしまいます。本当に撫でてくれるほうに行きます。これは簡単な分かりきった理屈ですが、そこが間違っているのです。さんざん横面を叩いて、お前を良くしてやる、かわいがってやると言っているようなものです。そうして本当にかわいがって良くしている人間をケシカランと言うのです。オレのほうで手を握ってかわいがっている人間を……と言うのです。実際世の中は間違いきっているのです。結局、一昨日のラジオのニュース解説で、「でたらめな世の中」という題で言ってましたが、その人はほかの意味から言ったのですが、やっぱりこっちでも「でたらめな世の中」と言いたいくらいです。それでこんな簡単な理屈を分からせるのに、なかなか骨が折れるのです。そこでいろんな例をあげてやらなければならないのです。要するに人間は教育のある馬鹿、文化的野蛮人、野蛮未開人になっているというわけです。病気が治らないとやたらに手術して臓器を取ってしまって、それが進歩したのだと言ってます。アメリカの新聞記者も言ってましたが、アメリカは非常に手術が進歩してなんでもやたらに取ってしまうのです。それで進歩した進歩したと言っているのですから、アメリカ人も「超愚」の点では日本に負けてないです。ですから「超愚」では足りないくらいで、もう一つ超をつけて「超々愚」でしょう。

(御講話おわり)

「『御教え集』二十八号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p212~213」 昭和28年11月07日