十一月七日
どこの宗教でもみんな病院を作っていますが、それについてメシヤ教ではぜんぜん病院を作らないということを、できるだけ徹底して書いたのでいま読ませます。
(御論文「宗教と病院」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六七六―六七八頁〕
それから注意したいことは、お医者さんにかかっていながら、こっちの浄霊で病気が治った場合に、お医者さんはびっくりして、こんなはずはない、どうして治ったのですか、と、よく聞きますが、そういうときにあんまり正直に言うとお医者さんも気を悪くするとか、あるいはなにか差し障りがあるように思って本当のことを言わないで、いい加減のことを言う人がよくあるのですが、以前はそういうことであんまり刺激して、妨害されてはいけないので加減したこともありましたが、今日ではそんな必要はないのです。ないどころか、大いにメシヤ教の浄霊という方法で治ったということを、はっきり言ったほうが良いのです。嘘ではなく本当なのですから、なるべく精しくありのままを言うのです。そうしてお医者さんに、どうせ分かりゃしませんが、とにかく一つの刺激を与えておくのです。そうすると、これがあっちでもこっちでもあるとお医者さん同士で、メシヤ教というのは不思議だ、われわれのほうで治らないようなものをドンドン治している。これは問題だという、そういったお医者さん仲間で評判になると、非常に良いのです。というのは、今度の『アメリカを救う』という本が出ると、ずいぶん問題になると思います。ところがふだんから、それは君嘘じゃないよ、僕はこういう経験がある。そういうようなことをお医者さんでも言う人があるでしょうから、そうすると本に書いてあることをそうとう信頼をもって読みますから、良いことになりますから、これからはいま言ったような方針でやらなければならないと思って、ちょっと注意したのです。
それからこの間京都に行くときに名古屋に寄って、名古屋の体育館の会場で「東方の光」について話をしたのです。それはあのときだけしか話しませんから、今度『栄光』にもっと精しく書いて出そうと思ってます。それを読ませます。
(御論文「東方の光」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六八二―六八五頁〕
「東方の光」ということが一番肝腎なのです。私のことを「お光様」と言い出したのは『静岡新聞』なのです。『静岡新聞』が初めて「お光様」ということを書いたのです。それで私はうまいことを言うなと思ったのです。それはいくらか侮辱のようにも聞こえますが、またすばらしく立派な文字になってますから、それが一般に「お光様」と言われるようになったのです。ですからあれも神様から言わせられたものです。で、いま言ったように私のお腹に光の玉があって、その光がたいへんなものなのです。いままで西から東に、文化と言いますか、なにからなにまで向こうから来たのです。これは逆であったわけです。東が霊で西が体ですから、体主霊従<たいしゅれいじゅう>というのはそこから来たといっても良いです。そのために体的文化が発達してきたという、本当の幸福な文化はできなかったというのは逆であったからです。始終言う医学でもそうです。体を治すと言うのです。こっちは霊を治すのです。ですからこっちは浄霊で、医学のほうは浄体と言いたいが、「浄」でなく「濁」です。ですから当然東から霊的文化が生まれなければならないのです。それで、それに対して霊的は中心ですが、やはり霊ばかりではしようがないので、体が肝腎なのです。そこで西から作った体の文化を、東から出た本当の、つまり中身です。それによって西の文化を、いままで悪いことに使っていたのを良いことに使うように変えるのです。爆弾を落とす飛行機を、早く旅行のできるようにする。人間を苦しめたものを楽しむものにするということが、やはり東から出なければならないのです。ですからそう考えれば別に不思議もなければ、変わってもいません。ところがいままでは西の文化ばかりで、それが本当のように思うから、それと反対の東の文化がちょっと分かりにくいのです。こんなこと(御浄霊)をして病気が治るということが分からないというのは、そういうようなわけです。
それで、房州の乾坤山日本寺というのは、とにかく乾坤山というのは天地乾坤といって宇宙を言うのです。それから日本寺というのは、日の本寺<ひのもとでら>ですが、こういうのも神様がそういう名前をつけたというのはおもしろいと思います。お寺の名前で日本寺というのはありません。で、あそこから日の神様、天照大御神が出られたのです。それで日蓮上人は七百数十年前ですが、今年は日蓮上人の七〇〇年祭といっているが、あれは法華経を唱えてから七〇〇年です。それで清澄山というのは日本寺から一、二里東のほうですが、そのときが最奥天国の霊界に日が出たのです。それからだんだん現界に写るまでにそれだけの年限がかかったのです。それで日本寺のある所は保田という所です。「ホタ」というのは、「ホト」という言葉が転化したのです。「ホト」というのは女の陰部です。『古事記』にありますが、なんとかいう女の神様に、天から槍が落ちてきて「ホト」に怪我をさせたということがあります。それで東京湾というものが女の陰部になるわけです。それで東京が子宮にあたるのです。ですから体的にはそういうわけなのです。それで私は東京から生まれたというわけなのです。これは細かく話すともっとおもしろいのですが、だいたいそれで分かると思います。それで富士山が臍になるのです。日本の国というのは龍の形ですが、これは国常立尊<くにとこたちのみこと>という神様が大地を造るときに龍神になって造られたその形なのです。それが日本の形になっている。で、瀬戸内海は口を開いている所です。それで山陰山陽が上のほうになって、四国が顎になるわけです。それで九州を呑み込んでいる形なのです。九州というのは世界の型なのです。北海道から千島のほうが尾になって、日本海が背中になって大平洋が腹になっている。これからそういう神秘がいろいろありますから分かってきます。ちょうど出雲が鼻になるのです。それで素盞鳴尊が朝鮮から出雲に渡来して、あそこで日本を統治されたということは、あそこが鼻になるのです。それで鼻が素盞鳴尊になるのです。ですからいろいろなことにそういうことが現われてきます。始めということを「ハナ」とよく言います。それから越後のほうは「コシの国」で腰というわけです。そこで越後の新発田<しばた>は肛門になるのです。それであそこは後ろですが、前のほうは東京になる。そうすると女ばかりですが、やはり男と女と両方になる。将来は伊都能売になる。それで伊豆半島が男の道具になる。そんなわけでいろんな神秘はなかなかおもしろいのです。で、日本はつまり霊的の根本になるわけです。ですから富士山なんかは日本の臍ばかりでなく世界の臍になるのです。富士山がちょうど地軸の大黒柱みたいな中心なのです。ですからあれはただ形の良いというばかりでなく、そういったような重大な意味があるのです。ですから世界中のいままでの文化は西でできた文化ですが、それが日本に来た。それはめちゃくちゃにできたものですが、それを日本ですっかり整理して本当の良いものにして、それをまた西のほうに、さっき「濁水が押し寄せて来たのをきれいにして押し返す」ということがありましたが、そういう意味です。そうしていろんな悪の目的に作ったものを、今度はすっかり清いものにして世界中に押し戻すわけです。それがメシヤ教の仕事なのです。とてつもない大きなものです。そういうようなわけで、私は先に大本教にいた時分に、ある所で講演したときにこういう話をしたことがあります。その時分にフォードの自動車会社がほうぼうに支社を作って、車は車、エンジンはエンジン、ボディーはボディーと専門的にこしらえる工場を持って、そこから本社のほうに送って本社のほうで組み立てて、完全な自動車として売り出すという組織になってますが、日本はちょうどそういったフォード会社と同じようなもので、ほうぼうでできた文化を組み立てて、本当に使い道になるようにして、そうして人間がそのお蔭をこうむるというように考えれば良く分かる。ですから日本には支那文化も西洋文化も、各国の文化がみんな入っている。それをみんな組み立てて本当のものにして、世界中の人間の役に立てるというように考えると一番良く分かる、と言って講演したことがありますが、それが日本の使命なのです。
それから日本は太陽の国ですからして、太陽の光は白です。白ですが、ふつう太陽の光は七色といって、道具があって回転すると白になりますが、あれと同じです。日本の天皇の「皇」という「すべる」という字は、白の王と書いてありますが、あれが日本を「すべる」という意味なのですが、字も実によくできているのです。「皇」の字は白の王としてありますが、白というのは「ノ」の字が天から天降ったという形です。そうして日<ひ>ですから、つまり「ス」が天から下がった。それで王というのは日月地<じつげつち>を貫くというのですから、あの字一字でもそれだけの意味が含まれている。そこに各国のそれぞれの色がありますからその色を日本で総合した総合文化、そうして白にする。だからいままで思想でも宗教でもなんでも、その国の特有の色があるのです。ところが日本はそういう色を総合して、白にして、それがつまり本当のミロクの代の文化になるわけです。そういう根本を知っていれば、日本という国はいかに尊い、たいした国かということが分かりますが、それを知らないから例の劣等感という、外国のほうが上だ、どうも日本人のほうが劣っているように思いたがるのです。それは根本を知らないからで、その根本を私はだんだん知らせようと思ってます。ところが講和前は、日本の優秀性なんかを言うと、アメリカがにらみますから言うことはできない。そうかといって天皇制時代にはそういうことは言えない。うっかり言うとたいへんなことになります。ようやく今日はそういうことが言えるようになったのです。こういう時節というものも、やっぱり神様がこしらえたのです。日本人がそういうことをだんだん知ると、劣等感はなくなりますし、自尊心が起ってきます。日本人は立派な使命を持っている、日本が世界を救うのだ、という気持ちだけでも、日本人は汚いことや悪いことはよほどできにくくなります。やっぱり劣等感なんかがあるために、悪いことやなにかをする。つまり政治家などが汚い闇的なことを好んでするということは、やはり自分を安っぽいものに思っているのです。ですから人間はうぬぼれてはいけないが、自分の尊いことと大きな使命を持っていることを知るということが一番立派な人間になるのです。ですから今度の選挙も、アメリカは公明選挙ということは言いません。公明選挙ということは言う必要がないからです。別に、民主党のほうではだいぶ買収したという話は聞いたことはぜんぜんないでしょう。ところが日本は今年がいままでの選挙違反では一番多かった。ところが今年は公明選挙と言っているが、かえって公明選挙ということは言わないほうが良い。というのは逆効果になっている。というのは日本人というのは、いま言う自信がない、自尊心がないのです。その点が一番なわけです。そうかといって先の戦争のときの軍部などは大いに自尊心はあったのです。その自尊心が違っていたのです。人を殺すほうの自尊心だったのです。悪い意味の自尊心です。これを良い意味の自尊心に変えるわけです。ですからメシヤ教は大いにそういった自尊心を知らせたいと思っているのです。そういういろんなことも、これからだんだん本当のことが言えます。ですからあらゆるものを良く外国と較べてみると、日本という国がいかに尊い国かということがだんだん分かってきます。