十一月五日
私は昨日上野の博物館に行ってきました。八〇周年記念で博物館にある品物のうちから名品ばかりを選んで展覧会をしたのです。一通り見ましたが、仏教関係の物だけはなかなか良い物があって、とてもかないません。なにしろ四十八体仏といって御物<ぎょぶつ>の金銅仏です。それが四八体あって、これはたいしたものです。これは法隆寺が明治時代に寄付したのです。ですからほかでは私の所に一つあるきりです。一つありますが、あれは非常に良い物です。昨日の四八体に較べてみると非常に良い。最初のかもしれません。なにかわけがあるのでしょう。それから仏画も、私の所ではかなわない良い物があります。それからあとは仏器です。仏様のいろんな道具です。これは数はたくさんありますが、たいした物はありません。屏風も良い物はありません。博物館が買う時分は、予算が足りないので思うような物が買えなかった、ということが品物に良く表われている。しかし贋物はありません。本物は本物ですが、その作者なら作者の傑作でなく、作者が画いたというだけの物で、非常にレベルが低いのです。ただ雪舟の山水画は一番良い物ですが、あとはありません。墨蹟なども数はあったが、あんまり感心した物はありません。つまり買える時分に、国家のほうで軍艦や兵器を造るほうにうんと金を出して、ああいう方面には冷淡だったのです。そんなわけでいまもって予算が足りないのです。それが良いか悪いか知らないが、われわれのほうで買うことができるわけです。敦煌<とうこう>の絵も、博物館で買わなかったので、アメリカに売ろうとするのを、その前に私のほうに見せてくれたのです。私のほうで止せばあっちに行ったわけです。そういうようで食い止めているわけです。そういうようなことは当局のほうでも知っているものだから、箱根美術館に対して好意を寄せてます。
来年美術館が始まる早々浮世絵展覧会をやりますが、今度の京都の浮世絵展覧会よりも非常に上です。それに私のほうは肉筆のほうを本位にしてますから、その点において世界一といっても良いと思います。また不思議に神様は、その作者の一番良い物をチョッチョッと入れてくるのです。実に人間業ではないということが分かります。来年始まると分かります。私も、いままで浮世絵というのはあんまり趣味をもってなかったが、近ごろ実に驚いているくらいです。
このごろどこの宗教でもみんな病院を作っているのですが、それについて書いてみたのです。これなら分かるだろうと思って徹底して書いたつもりです。
(御論文「宗教と病院」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六七六―六七八頁〕
それから注意したいことは、病気がすばらしく治るということをお医者さんが見てびっくりして、どうしてこんなに良く治った、ということを聞かれた場合に、はっきり言わない人があるのです。それは、はっきり言うと無論お医者さんの感情を害する心配もありますし、それからなにかしら言い悪<にく>いとか、そういうきらい<ヽヽヽ>があるのですが、以前はそういうときもあるにはありましたが、今日はよほど違ってますから、そういう場合にははっきりと、メシヤ教の浄霊で治ったということを、できるだけ精しくありのまま話さなければならない。そうしてお医者さんに分からせるのです。なるほど信仰で医学以上にこれほどの力がある、これは信仰も馬鹿にできない、考え直さなければならない、という心を起させるほうが良いのです。本当言うとお医者さんを分からせれば良いのです。そうすれば一遍にミロクの世ができるのです。そうして一般人に分かるのは徹底しないから遅いのです。ですからお医者さんに分からせるということは、いま言ったようにはっきりと、こっちが言うのは少しも間違いがないのですから、堂々と言ったほうが良い。そうしてあっちでもこっちでも、どうも医学よりかメシヤ教の浄霊のほうがずっと治るということを、お医者さん同士が話し合うとか、医学者の間にそういったことが評判になるというようにならなければならないのです。ですから今度の『アメリカを救う』という本も、やっぱり医科大学とか大病院にも配るつもりです。そうして医学者のほうにも続々と分からせるというようにしたいと思います。これはあるいはたいへんな問題になるかもしれませんが、人類を救うとしたらそういうことはやむを得ません。それを通り越さなければ本当にできあがらないのです。そうして間違った医学を是正する、改革するということは、一度はそういう難関を通り越さなければならないのです。ですからその覚悟でだんだんやるつもりです。ですからいまのような場合は思いきって、言いにくいことでも言ってもらいたいと思います。それから本当は日本の医学界に向かって爆弾を投げつけたのですが、それよりかむしろ、アメリカから分からせたほうがずっと早く効果が大きいのです。ちょうどアメリカの病人の多い報告を利用して『アメリカを救う』の本を書いたのです。やっぱり神様はそういう遠まわしの手段を取られたわけです。
それから「東方の光」ということを昔から良く言われてますが、これを徹底的に書いておいたのです。
(御論文「東方の光」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六八二―六八五頁〕
いま読んだ通り、安房の乾坤山日本寺というお寺ですが、この日本寺は、保田<ほた>という所にあるのです。「ホタ」という言霊<ことたま>は「ホト」ということが転化したものです。「ホト」というのは、女の陰部を昔は「ホト」と言ったのです。これは『古事記』にあります。天からなにか落ちてきて、その女の「ホト」を突いて、それからどうだということがあります。そういうような意味で、房州というのは閨房<けいぼう>というわけです。その「ホト」から生まれたわけです。昼間の世界が生まれたわけです。ということは、神様でいうと天照大御神様が生まれたわけです。これはおもしろい神秘があるのです。そうして私が六月一五日にその神事を行なって一五日の夜帰ってきて、明くる日に下駄屋の職人で海に飛び込んで死んだという話は先にしましたから分かっているでしょうが、それから三日目の、これも話したことがありますが、その当時そうとう有名だった森鳳声<もりほうせい>という彫刻師が来て「自分は近ごろしきりに天照大御神の御尊像を彫刻したいと思っている。それで自分のような彫刻師がそういう尊い像を作っても差し支えないものか」ということを、私の意見を聞きに来たのです。それで私は「それは結構だ、大いにやりなさい」というので、それから彫り出したのです。そうして中途で見てくれというので見てやったのですが 「背中の模様をどうしたら良いか分からないから見てくれ」と言うので、私が「台を雲にして背中に丸くやれ」と言ったら「それで合う」と言ってました。それから「丈はどのくらいか」と言うから、私は「五尺六寸七分の丈が良い」というので、五尺六寸七分にした。それで半年くらいかかりましたができあがりました。その森鳳声というのは大本教信者なのです。それで私が先輩だからそういうことも私の意見を聞いたのです。それでできあがって、大本教に献納したいというので、それは結構だと献納したのです。そのとき、東京の和田掘に大本教の東京の別院で紫雲郷別院という、そこに出口先生が来られたときに献納したのです。私は行って見ましたが、白布で巻いてあって、もったいなくないようにして床の間に飾ってありました。それから間もなく大本教の本部の亀岡に持って行きました。私は見なかったが、無論そこの一番良い所に飾ったものに違いありません。そのときに、紫雲郷別院に等身大の瀬戸物の観音様があったのですが、それがどういうものか一晩で首が欠けて取れたのです。だれかがなにかを落としたか、ぶっつけたか実に不思議なのです。人によってはずいぶん気にしていたようです。私もこれはなにかよほどのことがあるに違いない、ただごとではないと思ったのです。というのはこういうわけです。そのころ出口先生は、自分は観音の化身だと言って、始終観音様の絵を画いていたりした。そうすると、その首が取れたということは、出口先生になにか禍があるに違いないというような意味になりますから、これは変だなと思っていたのです。それがちょうど、日本寺に行ったのが六年六月ですから、六年の一二月あたりに献納したのです。それから一〇年の一二月に大本教事件が起ったのです。その首が取れたということは、その一つのお知らせになったわけです。それからもう一つの神秘は、私以外には知らないのですが、出口先生は月の神様です。素盞鳴尊です。それで月の神様になります。天照大御神を献納したということは、日が出たことだから、月が光を失うということになる。そうして、大本教のお筆先に「大本は世界の型であるから、此の中を見て居りたら世界は何うなるという事は分るぞよ」というのがある。そうしてみると天照大御神の「日」が現われて、月が光を失うということになるのです。そういうことは私以外には分からないのですが、いまの論文を書くときに想い出したのです。各宗教で病気が治らなくなったということは、昭和六年六月一五日にいまの御神事があってから治らなくなったのです。私は先に天理教の人にその話をしたところが、ちょうど六年あたりから天理教でも病気が治らなくなったということを言ってました。それでしかたがないというので各宗教で病院を作るようになった。だいたい、天理教でも病気治しであれだけになったのですから、天理王<てんりおう>が病気が治らないということは、最初とはまるで違ってきたのです。それからひとのみちでも金光教でも、みんな病気治しであれだけになったのです。しかしそういう宗教がみんな病院を作ったのです。天理教も立派な病院を作るし、ひとのみちでも作るし、この間は立正佼成会も立派な病院を作りました。そういうようで、そうとう目立つ宗教としてはメシヤ教だけが病院を作らないのです。それは昼になったために、他は全部月の宗教ですから、そこで治らなくなったというわけです。はっきりしているのです。それに引き換えてこっちはだんだん治り方が良くなるということは、日がだんだん昇って行くから、太陽の光が強くなるからなのです。