『御垂示録』二十六号 昭和二十八年十一月一日(2)

〔 質問者 〕いろいろと御教えをいただいておりますので、こう言って笑えますが、もしこのことを教えていただいていてなかったらたいへんなことと思います。

【 明主様 】たいへんなことです。つまり人間は薬をのみ、農作物に肥料をやるというその理屈は同じなのです。今年は外米の輸入やいろいろなことでごまかしておくが、来年のことを考えたら、実にいても立ってもいられないと思います。この間気象台の藤原博士が「今年から三年間は凶作型だ」と言っていますが、これほどでなくも、来年、再来年がまた不作としたら農家はもうやって行けません。それで国としても、輸入すればそれだけの金を払わなければならないから、金がないから、どうしてもなんかかんかと金を借りる算段をしなければならないのです。そうしてだんだん条件が悪くなると利息も高くなります。そうすると結局インフレの因<もと>になります。ですからこれ以上貿易が悪いとインフレの可能〔性〕が非常に濃厚になります。それで日本の経済界でおかしいのは、借金すると成功したと喜んでますが、借金したら必ず返すので、そうして利息が出るのですから、悲しむべきことですが、いよいよ外資導入をするとかいって喜んでます。いまの金詰まりとか中小工業家が苦境に陥っているというが、原因は結局借金です。また日本ぐらい借金の好きな国はありません。日本人というのは、ただ目先だけを考えているのです。十年、二十年先のことは考えないで、その場限りのわずかの時間、良い思いをすればよいというのです。ですから薬もそのとおりで、先はどうなろうが一時良ければよいというのです。

 

〔 質問者 〕人造米の松浦というのが特許をとりましたが、全部の米をつぶして人造米にすれば助かるだろうと言っております。

【 明主様 】情けないです。本当の目先だけだから苦しいのです。借金して一時良い、その先の考えはないのです。この一番極端になったのが泥坊して一時の間、女を買ったり酒を飲んだりして享楽するという心理状態と同じです。つまり人間が三年か五年で命がなければ、それはたしかによいでしょう。しかし六〇、七〇までも生きるとすると、それはどうもピッタリしないわけです。つまり目先ばかりを考えるという、こういう日本人の考え方が治らなければ駄目です。だから借金しても、一時楽になることばかりを考えて、先の苦しみということを頭に入れてないから、金詰まりとか、いろいろと苦しむということは、自分で作っているようなものです。政府のいろんな政策にしても、みんなその場限りのことであって、ちょっと良いことだと喜び、少し悪いことだと悲観しますが、だいたい日本のすべての考え方というものがフワフワしていて、つまり超愚になってしまうのです。それで一時気持ちが良いからというので麻薬がはやるのでしょう。

 いま私が書いているのは、ふつうの薬と麻薬との違いは、時間の遅い早いがあるだけで、結局同じだということを書いてますが、いっさいが麻薬中毒になってます。それで至急「特集号」をこしらえます。「日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産」という題です。これを農家に一枚売りをするのです。これが一番よいと思います。私は前に大本教にいるときに『愛善新聞』というのを、私が東京で一番主になって売らせたのですが、なかなか売れるものです。それから観音会になってから『東方之光』という新聞を出して売らせましたが、これも割合に売れるものです。それで今度のこの標題だけで飛びつくだろうと思います。これも妙なもので、ただで配布してもよさそうなものだが、ただというのは読まないのです。それでいくらかでも金を出したものは読むのです。これも前の『愛善新聞』、『東方之光』で経験がありますが、ただでくれてやったのは読まないが、いくらかでも出したものは読むのです。これは人間の人情で、そういうものなのです。いまの日本の農家は約六〇〇万だそうですが、一枚売りとほうぼうでの座談会のときに、聴衆が喜んで買わないわけにはゆかないから買うというわけで、相当数出ると思います。それで私は一〇〇万出したいと思います。そうすると六分の一ですが、ふつうの新聞でもたいてい五人は読むとしてありますが、五人が読むとすると五〇〇万で、たちまち全国的に知れるだろうと思います。おまけにいま農村で一番苦しんでいるところに、これをやったら一番の魅力です。腹の減っているところにごちそうを口に入れてやるようなものですから、飛びついて喜ぶだろうと思います。一〇〇万を目標にして大いに活動してもらいたいと思います。やり方のいろいろはみんなで相談してしかるべき方法をとるでしょうが、だいたい今年の凶作というのは、神様は実にうまくやられたわけです。しかもこっちのほうは深掘りを発見したために初年度からすばらしい成績なのです。昨日Ⅰさんの最初からのことを見ましたが、大沼さんが書いたのですか、なかなか文章が上手です。あれなら小説ぐらい書けます。たいしたものです。小説を読むぐらいの興味があります。今度単行本を作りますから、『栄光』では長過ぎますし、あれだけの本では魅力がないから、もっとしっかりした本を作って大々的に新聞広告をして、一般が読むようにしたいと思ってます。その中の記事としては非常によいと思います。なかなか苦労してあれまでやったということは、つまりⅠさんという人の経路は非常によいです。あれで見ても反二〇俵というのはそう困難ではありません。ふつうになるとみてよいです。そうすれば今日の四倍ですからたいへんなものです。

「『御垂示録』二十六号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p257~p260」 昭和28年11月01日