『御垂示録』二十六号 昭和二十八年十一月一日(5)

〔 質問者 〕キリスト教の各宗派が分裂するのに、カトリックだけは信仰を深く持ってますが、これは機構によるものでしょうか、教義に理由があるものでございましょうか。

【 明主様 】理由がないこともないが、あれは正統だからです。キリストが中心になっているのです。ほかはみんな枝なのです。 ローマのヴァチカンがキリスト教の本部というわけです。それで伝統的にとにかくあそこが、ちょうどマホメット教ならメッカというわけで、それが一つの伝統の本拠だからで、そういうわけです。

 

〔 質問者 〕教皇を選定するというのは合理性があるわけでございましょうか。

【 明主様 】あそこは教皇で、ローマ法王と言うのです。だから新しくできても歯が立たないのです。合理性はあるわけです。

 

〔 質問者 〕合理性といいますと、カトリックは政治的にも動いておりますが。

【 明主様 】そうです。昔は政治的に実権を握っていたのです。

 

〔 質問者 〕政治的に動くということも合理性があるものでございましょうか。

【 明主様 】そうです。だからあの時分に政党と宗教が一致したのです。それであんまり宗教に勢力を集中したので被害が起こったために、今度は別に宗教を切り離して、政治と宗教ができたのです。ですからローマ法王というのは絶対権を持っているのです。それは日本の天皇以上でしょう。なにしろ生殺与奪の権を握っていたのです。法王の一言によって罪も許されたのです。ですから裁判も法王庁で行なわれたのです。そのために一時たいへんな権力になったのです。それで英国などは天皇の位を低くしたのです。そのために英国は良くなったのです。そういった政治の力を強くするというのが悪いので、それに反対してできたのがアメリカです。アメリカの発展というのは、天皇がないから発展したので、一つの権力があるとそれに押さえられるから発展がないのです。人間というのは欲の固まりだから、骨折ればいくらでも出世ができる、いくらでも収穫を得られるという、競争の自由ということで国が発展するのです。ちょうど日本の戦国時代と同じようなもので、あの時分には偉い者は出世放題というので、秀吉のような者が出たのです。ところが徳川のように非常な実権を握ってしまうと、偉い奴は出なくなります。むしろ偉い奴が出るとやっつけてしまうというわけで、泰平は泰平だが、だんだん疲弊していって、その結果、王政維新というものができたのです。だからどれが良いかということは言えないので、うまくできているのです。それは大きな目で見ると自然の動きです。なんでも一つの自然というものがいっさいを支配しているわけです。これは大きいことでも小さいことでも同じです。虫が湧くということはそこが汚くなるから、神様は浄化しなければならないので、浄化するには虫を湧かしてその虫に汚いものを食わせるわけです。これが今度の報告にあった、貯蔵米に穀象虫<こくぞうむし>が湧いて米を吸殻みたいにしてしまったというが、これはそういうわけです。米の中に肥料という汚いものを含んでいるから、そこで虫が湧いて肥料分だけを食っていったわけです。そこでガラガラになってしまったのです。人間の腹の中にも回虫とか条虫<じょうちゅう>とかいろいろ湧くが、それは腹の中にいろんな汚いものが溜まったから、それを掃除しなければならない。そのために一つの生物が湧くということで、やっぱり自然なのです。それで、泥坊や人殺しがあるということも自然なのです。人間がずるいことをして金を溜めたり、買ったりする。そこで自然に泥坊というものが湧いて、汚いものをとるのです。すなわち人間が泥坊ができるようにするのだから、ずるい者は神様はどうしても赦すわけにゆかないから、泥坊というものを作るわけです。そうすると泥坊というものが神様のためにたいへんな良いことをしたわけですが、しかし泥坊という悪いことのために裁かれるわけです。それから火事というのは、いろんなずるい悪いことをして造るから罪が溜まっているから、家が穢れているから焼かなければならないわけです。ですから火事が多いということは、ずるい奴が多いというわけです。ですから火事というのは理屈に合わないようにして燃えるものです。昔の明暦の振袖火事というのは、娘の振袖に火がついて、東京中が火事になったのですが、それは理屈に合わないが、そういうことになるのです。それでは鉄筋コンクリートで焼けないようにしたらどうかというが、これも結局掃除をしなければならないので、この間の欧州戦争のようにローマとかをドイツが爆撃して壊してしまったわけです。これはみんな浄化作用なのです。戦争も浄化作用なのだから、いくら国際的の条約を結んだところで、どんなに軍備をしたところで、戦争が始まるときには必ず始まるのです。ですから第三次戦争を逃れようとしてアメリカなどでやってますが、やっぱり駄目なのです。私がいつか書いたように、戦争を逃れるには間違ったことをしないで、そういった穢れを溜めないようにするのが戦争から逃れる方法で、そうでなければ決して逃れられないのです。第三次戦争をいくら逃れようとしても、汚いものを溜めれば駄目です。どんなに完備したものでも、地下を作っても、原子爆弾というのを作って焼いてしまうのだから駄目です。第三次戦争は必ずあります。それはどうしても掃除をしなければならないからで、それが宇宙の原則です。ですからそういう見方でみればよく分かります。いくら養生しても消毒をしても、やっぱり病気は減りやしません。この病気が良くなると思うとほかの病気が悪くなるのですが、それは根本を知らないからです。だから根本をいろいろと教えてやってもなかなか分からないのですが、みんな超愚になってしまっているからです。すべてにそういうような見方をすれば分からないことはないので、簡単に分かります。肝腎なことを知らないで年中心配したり苦しんだりしているのです。つまりわれわれのほうは個人的に浄化作用が来るが、神様のほうは全体的に浄化作用をなされるのです。この間も書いたとおり、水害なども土を穢すからで、ある程度まで穢すとどうしても洗わなければならないので、そこで雨とか高潮によって肥毒を掃除しなければならないのです。だから台風は人災だというわけです。

「『御垂示録』二十六号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p263~p266」 昭和28年11月01日