『御垂示録』二十六号 昭和二十八年十一月一日(3)

〔 質問者 〕本当に日本は救われたと思いました。『アメリカを救う』などのように、ポスターに「日本は救われた」と標語してやってはと思います。

【 明主様 】よいです。『アメリカを救う』は救うだけで、今度は「日本は救われた」のだから、序幕と終幕との違いさです。それでどんな事をしても二、三年中には日本人全部は頭を下げます。下げないわけにはゆかなくなります。そうするとこれが浄霊の方に良い影響が行きます。救世教の奴は医学であんな事を言っているが、自然農法を見ると夢のような事が実現した、そうしてみると医学の方も本当かもしれない、という事になりますから、その方に対する一つの良い影響も見逃せない事です。とにかく信用ですから、全般的に救世教を見る目がぜんぜん違ってくるわけです。それがこっちの一番狙うところなのです。そこにちょうど、二、三日前の『読売』に『救世教奇蹟集』の広告が出るし、同じ日の新聞に霊友会事件が出たが、あれも遇然ではないので意味があります。あれは日蓮上人が、静岡問題の時に私が留置場に居る時私に憑って来て、非常に謝って「自分が大変間違った事をしたために、赦してもらいたい。それでこれからは日蓮宗を、日蓮宗は自分のほうで、できるだけ早く分らせるようにして、大いに救世教のために尽くす」というような事を言って約束したのです。あれもその一つの現われです。日蓮上人が日蓮宗をつぶしてしまうという事になるのです。もっとも日蓮上人が地獄で苦しんでいるのを私が救ってやったのだから、そのお礼がてらです。いつか『栄光』に出しましたが、天理教の教祖も憑ってきましたから、いまに天理教にもそれが現われます。人間と違って、神様の約束というものは決して間違いがありません。

 

〔 質問者 〕最近の立正交成会のお蔭話は、医者にかかり手術をしたが、信仰しているので、お陰様で良くなった、というのでございます。

【 明主様 】滑稽なものです。既成宗教をいうのはあんまり低級で、テンデ問題になりません。

 自然栽培で日本人全部に頭を下げさせて、それからハワイが今に全島が救世教になってしまうでしょう。そうしたらアメリカはじっとしていられません。どうしても自分のほうに来てくれということになります。そうなればアメリカは割合に楽ですから、あんがい早く行くでしょう。ただ、カトリックが控えているからそう簡単にはゆかないでしょうが、そうとうな勢力は植えつけられます。だからこっちが地上天国を世界的に造るという事も、以前ですと、いつどうしてできるか、ちょっと見当がつかないが、いまではともかく見通しだけがつきかかってきました。大本教のお筆先に「三千世界のびっくり箱を開けると、あまり大きな取違いで、アフンとして開いた口がすぼまらぬぞよ」というのがあります。自然農法などもやっぱりびっくり箱です。それで中京方面から始まったということは、これは神様のほうはそういうふうになっているので、当時観音教団といって玉川でやっていたときは、それまではホンの東京都内ぐらいを目標にしてやっていたのですが、あのときに渋井さんが、地方をやってみたいと言うので、それもよかろうというのでやって、一番先が中京、名古屋方面です。渡辺さんもその時分の人でしょう。そうして馬鹿に急激に発展しました。それで今度の自然農法と同じ経路です。つまり伊都能売で、真中ですから、そういうふうな形になるわけです。それで何時も言うとおり、経と緯が結ばるのですから、緯がアメリカで経が日本で、どうしても経と緯を結ばなければならないので、それが救世教だというわけで、それがだんだん近寄っているのです。救世教がアメリカと日本を結ぶというような形をとりつつあるのです。ですから「アメリカを救う」という本はその最初の第一歩です。それで、まずアメリカにゆくにはあんまり遠いから、間の飛石がハワイなのです。まずハワイに足をつけて、そうしてアメリカに行くというわけで、神様の方はチャンとそういう具合にできているのです。お筆先に「神は水も漏らさぬ仕組を致してあるぞよ」というのがあります。

 この三日にアメリカの有力な新聞の通信員かなにかが来ることになって、救世教に関するいろいろなことを聞きたいというのです。それで自分の所の新聞に一番先に出すからして、もしほかの新聞が来ても、そのつもりで、なるべく話をしないでくれ、自分の新聞が先鞭をつけるというのです。また、広告は出してくれるなというのです。広告を出すと、広告を出したからそのお礼に記事を出したと見られるのはおもしろくないからと言うのです。あっちはそういうふうになっているのでしょう。今年は二八年ですから、つまり五、六、七とこれがすんで八年から開けるというわけで、今年から八、九、十と行って、十は結びですから、丁度昭和三十年になるとすばらしい世界的地盤ができるわけです。それから世界的宗教としてだんだん発足してゆくわけです。ですから時節です。お筆先にも「時節には神も適わぬぞよ」「時節ほど有難い怖いものはないぞよ」とありますが、お筆先というのは実に簡単にはっきりと言ってあります。この怖いというのは悪い者には怖いので、ありがたいというのは善のほうにはありがたいのです。

「『御垂示録』二十六号、岡田茂吉全集講話篇」 昭和28年11月01日