一〇月二七日
話の前にちょっと言いたいことがあります。今度の三日間に来た人は非常に少ないのです。いつものちょうど半分です。聞いてみると、いま農村が一番忙しいときで、そのためだろうと言うのですが、これはたいへんな間違いです。どんなに忙しくても、どんなことがあっても来なくてはいけないのです。他の事情ならしかたがないが、農村の事情が忙しいから来ないということは間違ってます。そのために一日か二日の暇をかいても、それでどうということはありません。神様はそんなものではありません。神様はたいてい一〇倍ですから、一日のお参りで一〇日のお蔭をいただきます。もしそういう考えで休むとしたらたいへん間違ってます。そういうことを支部長や教師などの人がよく知らしてやるとよいです。むしろ、そういう忙しいところを休んで来るほどかえってお蔭があるのです。そこが人間の考えと違うのです。殊に今度の三日間は農事に関係した話をすることが多いのです。私はできるだけ百姓に話したいと思ったところが、そういうわけで、どうも残念に思うので、いま一言言ったわけです。
信仰の考え方が、まだなかなかずれている点があるのです。例えば肥料にしても、本当に私の言うとおりにやる人は少ないのです。たいてい中途半端が多いようです。農民の人は「明主様は病気やなにかの場合は、それはよく治るし、たしかにおっしゃるとおりに違いないが、作物のほうは百姓の経験はないし、そのとおり言うことを聞いていたら、とんでもないことになる」というので手を出さない人と、また手を出しても徹底しなかったのです。金肥人肥はいけないというと、それでは鳥の糞や馬や牛の糞なら良いだろう、油カスなら良いだろうとか、ヤレ灰をかければ良いだろう、ごくよいところで、堆肥をウンとやれば良いという考えなのです。ところがそれはみんな土を穢すからいけないのです。これは私が言うのではないので、神様がみんなを助けるために言うのです。どうも私の考えで言うように誤解するのです。これは古い人にはそんな考えはないのですが、新しい人に大いにあるので、その点をよく徹底するように教師の人などは教えてもらいたいと思います。ところが昨日も聞いてみると、教師自身が実は無肥料栽培ということを信じてないのです。だから言い方が弱いので、ウッカリすると百姓に言い負かされてしまうということを聞きました。それはいままではそうでしょうが、今年はみんな目が覚めただろうと思うから、これからは大丈夫だろうということを言っている人がいました。そういうわけですから、参拝日に暇をかくとか、いろんなことで来にくいときに来るほどお蔭があるのです。これが遊び事なら都合のよいときにということになるが、そうではないのですから、こういうことを大いに心得ているべきです。農事が忙しいから行けないということは、はなはだどうも当<とう>を得ていません。理屈に合いません。この話はそのくらいにしておきます。
「農業特集号」は今月の末までにできますから、来月からは大いにこれを利用してもらいたいと思います。本当は毎年春なのですが、そういうことを言ってはおられないから、今年の凶作に対して一日も早く一刻も早く知らせなければならないとともに、また非常によいチャンスです。神様がこういうチャンスを作ってくれたわけです。これを大いに利用して、自然栽培を宣伝するというそのために「特集号」を早くしたのです。おまけにいろんなよい原稿が来ましたから、その点からもこれならばどんな者でも分からないわけはないと思います。
(御論文「日本農業<農法>の大革命 無肥料で初年度から五割増産<一割乃至五割増産>」朗読)〔「著述篇」第一二巻一九五ー二〇三頁〕
これを一枚売りにして農村をまわるとずいぶん売れるだろうと思います。それでトップに大きな活字で「日本農業の大革命 無肥料で初年度から五割増産」と書いたこれを見たら飛びつくだろうと思います。しかもなるべく安くして一枚でもよけい売るというようにします。これには私も経験がありますが、昔大本教の新聞を信者に売らしたことがあります。その後観音会になってから『東方の光』という新聞を出して売らせましたが、割合に売れるものです。ですからこれはあんがい売れるだろうと思います。それで信者さんだけでも確実なところ五〇万は大丈夫だと思いますが、一枚売りのほうも五〇万は大丈夫と思って、一〇〇万刷るわけです。農村などは近所付き合いが多いから、一枚を五人が読むとすると、五〇〇万の人間が目を通すことになり、そうなると今度はそうとうの反響がなくてはならないと思います。そして講演会とか座談会をするときに、こういうものを非常に欲しがるそうですから、そういうときに売ってみんなに読ませるという点でも大いに出ると思います。各地で座談会をやってますが、ずいぶん来て片端<かたはし>から会員になるというような傾向ですから、これを大いに利用して、一遍に全国的に分からせたいと思います。というのは、だいたい考えてみると今年が結局五四〇〇万石ですが、平年作よりか一〇〇〇万石は減ってますから、どうしても輸入米三〇〇〇万石以上しなければならないことになります。そうするとこれが代金としても二〇〇〇億以上でしょうから、だいたいが輸入超過に苦しんでいる国が、このうえまた輸入超過になったらたいへんです。それも、今年だけですめば来年から回復する方法もあるが、いったい来年またその翌年の作柄はどうかということを考えてみると、この問題はたいへんなものです。それも日本の人口増加はどうしても年に一〇〇万です。いま産制などで少し減らしているが、結局一〇〇万とみなければならないのです。そのように、一〇〇万ずつ増えるのに米がとれないとしたらたいへんなことです。またわれわれからみると、減るとも増すことはありません。なぜならば、いまも読んだように肥料で壁のようになっているうえに、殺虫剤をやり、殺虫剤をやるから虫がわくということになって、肥料で逆効果になっているのです。ちょうど薬毒と同じことで、薬で病気になり、病気になるから薬をのむということになります。それでいずれは農林省も動かすつもりです。ところが役人はなかなか頭が固いですから、この頭には、どんなよい材料を持って、よい説明をしても、急にはなかなか動かないのです。ですからどうしても事実をもって示すということです。たくさんの農民が自然栽培ということになって、しょうことなしに、それではよいのだろうというところに行くのではないかと思います。そうしてみると、ちょうど医学迷信と同じように、なにしろありそうなことというようなことではないのですから、医学迷信も肥料迷信もいままでとは逆で反対ですから、これをちょっとやそっとで分からせるというのは難しいので、どうしても世論的に農民全体がそうなってくることになると、政府もいやでも黙っていられないということになるのです。それでこれは本当は最初「無肥料栽培」と言っていたのですが、戦後進駐軍が占領中、進駐軍のほうの規則で、作物には肥料をやれということがあるのだそうで、進駐軍のほうでなにか言いそうな懸念<けねん>がだいぶあるし、……また当時は「観音教団」ですが……その反対者のほうで進駐軍を動かそうとしてしきりに運動しているのがいて危ないというので「自然栽培」という名にしたのです。しかし本当は「無肥料栽培」という名にするのが本当です。しかしもう日本は独立国になったのですから、いっこうにかまいません。ところが長い間肥料迷信によって、さっきも言ったとおり無肥料になりきれないのです。そこでそれを徹底させるために、いま読んだ論文も、異物を入れては不純土になるからいけない。なにも入れない純土にしなければならない。それには連作によって高めるということを書いたのです。それで肥料がいかに恐ろしいものかというよい報告が来たので読ませます。それはつまり人間の健康に関係しているのです。そのことについて書きました。
(御論文「人体と肥毒」朗読)
(寄書朗読)〔「著述篇」補巻三、六九二ー六九四頁〕
こういうわけだからして病人を作らない病なき世界を造るにも、この肥毒を止めさせるという自然農法が間接に病をなくする大きな原因になるわけです。それからこの間のラジオでおもしろいことを言っているので読ませてみます。
(NHK第一放送午後〇時一五分「ひるのいこい」放送 原稿朗読)〔「著述篇」第一二巻二〇四ー二〇五頁〕
そういうようなわけで、ドジョウやエビガニが死んだというのですが、いったいドジョウやエビガニはなにかというと、農村では海に遠いから、そこで神様はたまには魚も食わせなければならないというので、ドジョウやエビガニというものが自然にできるようになっているのです。タニシなどもそうですが、それが近ごろはまことになくなってきてます。これは化学肥料を入れるから死んでしまうのです。ですからいかに間違っているかということが分かります。やっぱり「超愚」です。まだ話はありますが、時間がないからこのくらいにしておきますが、「ハワイ通信」が来てますから、これを読ませます。
(「ハワイ通信」(二)朗読)
そういう具合で順調に発展しつつあります。来年あたりになったら、また大きな固まりになると思います。この間地図を見たら、ハワイの島はだいたい五つから成り立ってますが、その五つの島の急所の所にはみんな支部ができましたから、神様はなかなか寸分の隙もないわけです。それからここに書いてあったように、家もなかなかたいしたものらしいです。これが簡単に手に入って、その金も結局みんなハワイの新しくできた信者たちが出してしまうのですから、神様はなにからなにまで行き届いておられるということがよく分かります。