昭和二十八年十月十八日

名古屋金山体育館

一〇月一八日

 京都に行く途中で立ち寄ったわけですが、今度京都にまいります目的は、嵯峨の土地が手に入りまして、それを見ていろいろな計画を立てようと思います。それが主なる目的で、ほかに美術に関係していることもいろいろあるわけです。土地につきましては、去年の春、初めて京都に行ったわけですが、そのときに将来京都に地上天国を造らなければならない、という結局神様の思し召しです。それが分かったので、京都で平らな土地、何万坪という……それはいま精しく言えませんが、それと大きな池です。こういう注文をしたのです。すると去年の秋に行く前に、ちょうど適当した所が見つかったから見てくれというので、去年の秋に見たのです。すると思う通りなのです。そこで、値段を聞いてみると馬鹿に高いので、とても手が出そうもないのです。それで私は、ほったらかしておけ、いまに神様がなんとかするからと言っておいたのです。ところが最近になって非常に先方で売りたがっているというのです。値段も非常に安く手放すというので、それでは買ったほうが良いというので最近買ったのです。そこは一万八〇〇〇坪の土地に、一〇〇坪くらいの立派な家が建っているのです。ちょうどそこを泊まる場所にして、そうしていろんな計画をしようと思っておりました。どうせ信者さんが大勢来られると、そういうのは急に建てるわけでもないから、その点をちょっと思っていたところが、つい四、五日前にその土地の真ん前に、地所が千何百坪、建物がニ〇〇坪くらいで、その建物に畳を敷くと一〇〇畳くらいのがあるというのです。大勢来てもよいのですから、神様は抜け目はありません。値段も安いというので、さっそくそれも手に入ったのです。それが決まったのが昨夜なのです。昨夜京都から電話があったのです。今日、そういうことは予定でなく来るはずだったのですが、それが前の晩に、必要だった所が見つかったのです。それが決まるということは、実に神様のやられることは一日の食い違いもありません。実に大きな奇蹟です。それでちょうど明日それを見て指図するつもりです。ですからあっちに行って信者さんが来ても、一〇〇畳敷くらいあればたいてい不自由はしないだろうと思います。別にお祭りとか、熱海でやっているような大勢面会というようなことはありませんから、ちょうど適当している所です。神様のお知らせは、京都方面についてもいろいろありますが、それは知れては具合が悪いことで言えませんが、あそこの経綸というものもおもしろい点があります。

 だんだん調べてみますと、ちょうど広沢の池のすぐ傍ですが、最初の土地というのは、池の縁からずっと拡がっているのです。ところがあの辺が昔の平安朝文化の発祥地だそうです。奈良は仏教文化の発祥地ですが、そうでない一般的文化の発祥地は平安朝です。その次が東山時代、足利時代の文化です。その次が桃山時代の文化です。京都は三段階になっています。後は徳川、明治からの新しい文化です。そういったような三段階の文化を基礎として、その後、西洋文化の影響を受けたりしてできたのが、徳川から明治、大正となっている。とすると嵯峨の土地というのは、非常に意味があるのです。そのようなわけで、神様のほうではよほどお仕組みがあるらしいのですが、まあだんだん分かってきます。

 それからこれは前から話ししようと思っていることですが、やっぱり時期が来ないと、はっきり話すことができないので言わなかったのですが、時期が来ましたから今日初めて話しするのです。これは昔から、西洋でのよほど古い……キリスト教だろうと思いますが、「東方の光」ということを言い出したのです。東方の光というのは、人の口から口へとずっと話されているのです。東方の光というのは、漠然としていていままでは本当に分からなかったのです。その東方の光について今日話そうと思っておりますが、東方の光というのは私のことなのです。それはいろいろありますが、一番はっきりしていることは、世界の東が日本です。極東と言いますから、東には間違いないのです。日本の東は東京なのです。東の京<みやこ>としてあるのですから、東に違いありません。東京の東は浅草です。浅草の東は橋場という所です。私は橋場という所で生まれたのです。橋場で生まれまして、それから転々として西へ西へと、こうして来たのです。最初は、千束橋という所がありますが、それから日本橋です。浪花町という所があります。それから京橋の木挽町という所がある。それから大井という所ですが、いまは大田区の大井というのです。それから大森、玉川。それから箱根、熱海で、今度は京都に、と数えると八つになっています。八つで西へ西へとなっています。

 今度はどこかと言うと、九州です。まだ時期が来ませんが、いずれ九州に地上天国ができるのです。その次が支那にできるのです。それからエルサレムです。あそこでおしまいです。ですから西へ西へと行くわけです。エルサレムに地上天国ができたときが、世界の地上天国の初めになるのです。それからが世界が統一されるのです。

 これは私が言うのではなくて、昔ユダヤのほうでそういう予言があるのです、エルサレムでは、将来世の中を救う人がここに来られるということで……四つの門があって、四つの門のうち三つは常に出入りはできるのですが、一つの門だけは「開かずの門」と言いまして出入りができない。だんだん西へ行って、あそこに行くときに初めて開いて、開かずの門というのは消えてしまうのです。そんなようなわけで一種の予言ですが、予言というより確言と言ったほうがよいでしょう。間違いありません。もし嘘を言ったら、私は嘘吐<うそつ>きになりますから、殴られはしないでしょうが、ぜんぜん信用をなくしますから、嘘は言いません。

 いままでのいろんな世界の文化などを見てみますと、みんな西から来ているのです。だいたい宗教でも、仏教にしろキリスト教にしろ神道にしろ……神道も西から来ている。だいたい日本の神道というものは、神武天皇系でこれは九州の高千穂です。それから後は出雲系です。そんなような具合にいっさいの宗教が西から来ているのです。ただ一つだけ東から出たのは、仏教では日蓮宗です。いつも言う通り、仏教はみんな夜の教え、月の教えです。そのうちにただ一つだけ日蓮宗が日の仏教だということを言ってますが、日蓮が初めて「日」ということを唱え始めたわけです。そこで唱え始めたのが安房の清澄山という所です。もっともあそこで生まれたのです。安房の小湊の誕生寺というのは、日蓮上人の生まれたのを記念していっているのです。私が昭和六年六月一五日に安房の乾坤山日本寺という所に三〇人を連れて行きましたが、そのときに初めて黎明になったということを言ってますが、その前に日蓮上人はその乾坤山からちょっと行った所で、初めて「妙法蓮華経」を唱えたのです。日蓮宗は六五〇年ともいうし七〇〇年ともいいますが、妙法蓮華経を唱えられてから七〇〇年で、死んでから六五〇年です。そのくらい前にすでに仏界には日が出たのです。昼間の世界の第一歩が始まったわけです。で、この「東方の光」というのは、つまり太陽です。昼間の世界になるということは、太陽の照らす世界ということです。それで私のここ(腹部の中央)に光の玉があるのです。この玉が東方の光です。いま言ったような東からだんだん西のほうに、あるいは中天に登っていく……と、そんなような具合で、東方の光という謎がここにおいて解けたわけです。こうやれば本当に治るということは、これから出ます。それで胸に光を放射されているわけです。

 この間も言った通り、いま『アメリカを救う』という本を書いてますが、もうだいたいできていま翻訳にかかってます。まあ日本はよいですが、アメリカのほうにはできるだけ多く見せたいと思うのです。それには英文にしたほうが良いというのでいま訳してます。それにいまアメリカのほうは非常な病人ですから、一々病気の原因や治し方や予防をいろいろ書きましたが、その治すのには、やはり私の霊の力でなければ、あるいは早く治すには駄目だ、と。それにはいずれこちらからそういう人が行く。遅くとも来年の上半期中には行くから、待ってくれと書きましたが、ただこうやっただけで治るということを説明しなければ先方は納得がいきません。それにはやはり私に光の玉がある……西洋の人はエホバなら分かりますから、エホバから与えられているその光の玉によって治る、ということも精しく書きました。やはりそうしなければ徹底しません。そこで、これはキリストの話になりますが、キリストは「天の父の霊によって、救いをやる」ということを、いくども『聖書』で言われてます。ですからキリストはエホバの子になるわけです。それで私の力はエホバの直接の力というわけです。私から言えばキリストは子供になるわけです。いま信者がやっているのは、キリストがやっていたことをさかんにやってますが、この前も八年とか眼が開かなかったのが、二分ですっかり見えるようになったというのがありましたが、今度『栄光』に出します。それから一三年くらい足が立たなかったのが、二〇分で足が立って翌日には立って歩くようになった、というのがありましたが、キリストがやった、『聖書』にあるように盲の目が開き、跛の足が歩けたということがありますが、私の弟子がいまやっているのです。この事実で、いま私が話したことは間違いないのですから信ずるよりほかはないのです。そんなような具合でこれからだんだん、神様がいろいろな方法をもって救いの業をされる。私はその執行機関です。どうしても霊ばかりでは世の中は救われない。世の中は物質でできてますから、それには生きた人間が唱道しなければ駄目です。そういう仕事を私がさせられているわけなのです。ですから時の経つに従って、追々それが具体的に現われてきます。今度の『アメリカを救う』という本も、見るとびっくりするだろうと思います。日本が敗戦国でヒョロヒョロしているのに、アメリカのほうで「日本を救う」とはありそうな話ですが、やっとまだ講和になるかならないかという、ろくに腰も立たないような日本が「アメリカを救う」なんていうのは生意気千万だ、と言うでしょう。ですからよほど自信がなかったら出せるものではないですが、私は人類を救う上において、アメリカ人だろうがソ連人だろうが……共産党も世界では脅威とされてますが、なんでも救わなければならない。スターリンが救世教信者なら話もしやすいが……。しかしとにかく人類を救うにおいては、あらゆる間違った点、人類に不幸を与えるとか災いを与えるというのは、全部除かれなければならない。そういうことはいままでなかった。実際的にやる人はなかったし、またできようとも思わないし想像もつかないですから、私がこんなことを言うと、信者は信じますが、第三者としたら、大きなことを言うなと思うでしょう。しかしこれだけ信者さんがいるのですから、頭が変だとは思わないでしょうが、よほど変わったものだと言うでしょう。けれどもなんと言われても思われても、真理を行なっているのです。自信があるのです。そうでなければ私どもには言えません。だから絶対的な信念があればこそ、なんともなく言えるのです。いずれメシヤ教というものが世界的なものになりますが、そうすると大いに張り合いがあります。

 この間信者で小川菊造という自動車のほうをやっている人が、世界をまわってきての帰朝談を聞きましたが、その人の話では、とにかくドイツ、イタリアは非常な勢いで復興しているそうです。その意気のさかんなことは日本人は足下にも追いつかないと言ってました。というのは、国民的自信があるのです。イタリアにしても、ローマ時代のああいった文化をもっている国であるし、またムッソリーニが非常に崇拝されているそうです。戦争をしたことは悪いが、あとはみんなイタリアのためになっているというのです。またドイツでも、ヒトラーは戦争したのは悪いが、あとは実に良い。マイナスよりプラスのほうが多い、という考えをもっているそうです。ドイツのほうは表面的でなく裏面的にナチスの運動もあるそうです。ドイツ魂がなんで世界の他の国に負けるものか、きっと復興してみせるという、燃えるがごときものだそうです。電車に乗っても、乗客のほうで五円ずつ切符のほかに金を出しているそうです。ドイツ復興のためといって、国民が自発的に出しているというその一事を思ってみても、いかに強い国民的信念があるかということが分かります。日本に至っては、小川さんが言うように自信がない。フラフラしている。中には米国が良いとか、ソ連が良いとか、英国が良い、というように、みんな外国より下になっているような日本人がいる。誇りと言いますか、プライドがない。それが一番歎かわしい。日本が一番偉い、良い国になる、という心がないからいけないと言ってましたので、私も共鳴して、そうでなければいけないと言ったのですが、その意味で『アメリカを救う』というのを出して、アメリカ人を偉いと思わせるというのではないですが、立派な国ですから救わなければいけない。そのために日本人の中で、とにかく「アメリカを救う」と、アメリカを下に見ているというか、あるいは自信満々として、日本人でもそういう人があると思って、読んでみると事実間違っていないということが分かってくる。すると日本人を馬鹿にすることはない、われわれも考えなければならない、というような感じを多少は受けさせられると思うのです。ですからとにかくドイツ魂とかアメリカ魂とかアングロサクソンとか、そういう良い魂というものを、戦争中の大和魂では困りますが、日本人の腹にもっと文化的な平和的な信念と誇りを持っていただきたい。 私は美術館を造りましたが、美術館もそのつもりです。ああいうことは、日本人が昔からいかに勝れているかということを見せたいためです。だから美術は日本美術を主にしている。そういった根本になるのです。美術館も、二、三年のうちに熱海にも造るつもりです。熱海のは名実ともに世界一で、どこの国にも負けないという美術館を造るつもりです。「アメリカを救う」というのも、病気を治すのはアメリカが世界一となってますが、だんだん日本が、あらゆる面において日本はすばらしいものだ、というようにしたいと思うのです。これは軍国主義的なことではなくて、世界中の人に楽しみを与えるという意味でやるのですから、その点根本において違うのです。とにかくいま話したような自信を日本人が大いに持ってもらいたい。これを希望するのです。信者の人もそういったような気持ちで、平和的には日本人は偉い、世界のどこの国にも負けないということです。また日本人の頭脳もすばらしいものです。日本人は文化的優秀性を持ちながら、いままで武器をとって日本人の天性でないようなことをさせられた。そのためにせっかくの文化的優秀性を殺したのです。日本人に、いま言ったような武器をとらせないで筆をとらせるようにすれば、私は世界のどこの国にも負けないというものができると思うのです。その点で私は神様から知らされている。こういった病気治しでも、日本人が一番治ることは分かっているのです。これをもって世界中の病人を減らすべく、将来やる時が来るだろうと思っております。だいぶ話が長くなりましたから、この辺で失礼します。

「昭和二十八年十月十八日」 昭和28年10月18日