一〇月一七日
救世会館もいよいよ昨日上棟式がすみました。いつも言うとおり、箱根は霊界の型で熱海は現界の型だから、この救世会館ができるに従って現界的に現われてくるのです。それからもう一つは箱根が日本の型で、熱海は外国の型と言ってもよいのです。だからハワイに今年始めたころが、ちょうど救世会館がいよいよ建築に取り掛かったころとだいたい同じになってます。それでこれからだんだん会館の工事が進むに従って、アメリカのほうが発展してゆくという順序になります。だからいわば世界の型になります。してみると昨日の上棟式というものも、たいへんな大きな意味があります。そういうわけで、最近になって白人系のほうにもボツボツ信者ができ始めてきたのです。今度白人のカトリックの信者が二人向こうで入信したようですが、カトリックはなかなか強い信仰で、他の宗教などに触れるということは非常にやかましいということを聞いてましたが、それほどでもないらしいです。それについて二、三日前に樋口さんから報告が来たので、これを読むほうが早いですから、いま読ませます。
(「ハワイ通信」(一〇)朗読)
右のような具合で、着々と進展しつつあるわけです。信者も、もう一〇〇〇人を突破しましたし、本部もハワイ本部としてそうとうな家ができましたし、まだ半年とちょっとでこれだけ開けたのですから実に早いです。この分で行ったら、来年あたりはどのくらい発展するかと思って、非常に喜びに堪えません。
それから自然農法も今年は技術的に大改良をされて、いままでは初年度から一、二年くらいというものは、たいした成績が上がらなかったのです。初年度で多少減産になる所もありますが、だいたいはようやく平年作を保てばよいぐらいに思っていたのですが、今度中京のほうの二、三の自然栽培で初年度からそうとうに増産になったのです。一番増産になったのが、初年度で五割増産した人があります。これはどういうわけかというと、最初から深耕<しんこう>したのです。それから稲の株間を広くしたのです。無論一本植えです。深く耕すのはだいたい一尺から一尺二寸ぐらいが適当してますが、それをよく考えてみると、いままで肥料がだんだん溜まって、つまり土の表、表土は肥毒の壁みたいになっていたのです。だから無肥にしても、稲の根はそこにつかえて本当の土の養分を吸えなかったわけです。ところが深く掘るとその壁を突き破ってしまうわけです。そうして下の良い土が表に来るわけで、つまり天地返しをするというわけです。それをやると、多少はその壁土が混じりますが、なにしろ壁を破ったのですから、平均されてたいした害はないわけで、害が少なくなるのです。そのために成績がよいのです。そうなると稲がよく育ちますから、分蘖<ぶんけつ>なども多くなります。それから株と株との間を広くしないと、葉の蔭になって根に天日がよく当たらないのですが、間を開けると日がよく当たりますから、つまり土が温まるというわけで、すばらしいできになるのです。そういうようなわけで、これは一大改良です。そのために初年度から増産になるということはたいへんな魅力ですから、これが分かればどんな農民でもやらずにはおられないということになります。そこにもっていって今年はあのとおりの大不作で実に惨澹<さんたん>たる有様です。政府の発表では、五八五〇万石と言ってますが、事実はもっと少ないのです。それで各地で、このとおりだということを知らしたいために、いろんな運動が起こってます。こっちのほうはすばらしい増産のやり方が現われるとともに、世間は反対に不作ですから、神様がちょうどいい具合にそういうようにされたものでしょう。そこでもう一つはこういうことがあります。土というものは変化するのです。ということは、米なら米、豆なら豆と、一つ作物を連作すると、それに対する土の性能が発達するのです。だからその作物を育てる性能がだんだん強くなってくるわけです。ちょうど人間と同じことで、新しい土にやると、土そのものがつまり素人なのです。ところがいろんな物をだんだん作ると、土にそれを育てる力が出てくるわけです。職工なら熟練工になるわけです。これを分かりやすく言うと、年々土の養分が増えてゆくわけです。だからいま平年作は六三〇〇万石ですが、一年か二年たつと五割増産になるでしょう。それから五、六年過ぎると一〇割増産になり、もっと過ぎてゆくと二〇割、三〇割というようになってゆきます。それは嘘のような話ですが、神様は土も稲もチャンとそういうふうに作られているのです。というのは、人間はどこまでも増えますから、人間の増え方が無限だから、そうすると人間が食う米もやはり無限なのです。そういう結構なように神様が造られたのに、人間がとんでもないことにしたのです。それはちょうど人間が薬をのんで、だんだん病人を増やしているということと同じです。それでいつも「特集号」は春に出しますが、そういうことでは追いつかないから、ちょうど、いま言った良い成績の報告がだいぶ来てますので、それを根拠として、この次か、遅れてその次あたりに「特集号」を出そうと思ってます。そうしてとにかく、『栄光』新聞だけででも各地で宣伝する材料にしようと思ってます。去年一八俵とったⅠさんは、いまに二五俵にしてみせると言っているそうですが、そのくらいはとれます。とにかくいまに日本は米が余ってしようがないようになります。どこに輸出しようかと、今度は輸出先に苦しまなければならないということになります。そうすると、だいたいいまは輸入超過で困っているということも、米だけが解決すれば今度は輸出超過ということになります。そうなれば税金などはずっと減ります。勿論一番お蔭を受けるのは農民ですから、これだけでも農村の地上天国は一番先にできます。それがひいては物価も下がりますから、生活はどのくらい楽になるか分かりません。日本の地上天国というのも近づいたということも言えます。あんまり話がうますぎますが、嘘ではないので実際の成績が挙げられているのです。
結局日本の地上天国ができて、それから外国にだんだん行くのが順序です。それでさっき言った箱根が日本の型、熱海が外国の型ということはそういうわけです。それで神仙郷の地上天国が今年できあがって、これからだんだん熱海になるのですが、そうすると、まず日本の地上天国のごく小さい型、それから熱海に外国の地上天国のごく小さい型と、だんだん拡がってゆくわけですから、神様はその型を着々としてやられているわけです。そこで箱根の道場は「日光殿<にっこうでん>」で、日の光で、つまり日本は日の本です。それから熱海は「救世<メシヤ>会館」といって、メシヤというのは西洋の名前ですから、そこで名前だけでも西洋の意味になってます。それが分かれば、世界でも、神様のこともよく分かるのです。箱根はどこまでも山で熱海はどこまでも水なのです。山が経<たて>で、熱海は水で緯<よこ>ですから、チャンとそうなってます。だから経と緯になるわけです。今度熱海ができれば、経と緯ができたことになります。だから私はおもしろいと思うのは、箱根と熱海の間が十国峠といって、ちょうど経と緯の真ん中になりますから十になるわけです。将来は十国峠にはすばらしい物ができるに違いありません。この話はそのくらいにしておきます。
ちょっとおもしろいことを書いてみましたから読ませます。
(御論文「詐欺時代」朗読)〔「著述篇」第一一巻六三〇ー六三三頁〕
それから今度『救世教奇蹟集』という本を出しますが、なにしろ奇蹟などというのはあまり知らないので、ようやくキリストの奇蹟ぐらいが宗教的奇蹟として知っているぐらいで、救世教の奇蹟というのは想像もできないのです。そこでこの広告文などもなかなか難しいのです。やっぱり迷信を鼓吹するというようにとられやすいのです。だからそうとられないように、なるほどそういうこともあるかというように、注目されるようにしなければならないのです。それで広告文の書き方もつまり信用されるようにして、それでは買って読んでみようという心を起こさせるというようにもしなければならないのです。私はいままで書いたことはないが、これだけは一生懸命に書きました。
(『世界救世教奇蹟集』(広告文)朗読)〔「著述篇」第一一巻六四一ー六四三頁〕
昨日改進党の早稲田柳右衛門という人と会食を共にしましたが、この人は今度東南アジアのほうに行ってきたのです。新聞ラジオにも出てますが、小金義照という自由党代表の人と二人、政府から選ばれてまわったのですが、二人とも救世教の信者だということもよほど意味があります。その人の話でインドには仏教信者というのはほとんどいないそうです。全部ヒンドゥー教徒とイスラム教徒(フイフイ教徒)だそうです。そして残っているのはビルマが一番だそうですが、あとはマレー、タイ、その周囲、それから日本、それだけだそうです。ですから仏教はほとんどなくなったようなものです。というのは、いま読んだとおりお釈迦さんは奇蹟を行なわなかったということが根本原因です。キリスト教がともかくもああして発展したのは、キリストは奇蹟を行なったからでしょう。しかしキリストの奇蹟をとればあとはバイブル、つまりお説教です。そこで神様は救世教をつくって大奇蹟によって救うのです。それで奇蹟奇蹟と言うが本当は奇蹟ではないのです。つまりこれが本当なのです。いままで嘘のことばかりやっていたから本当のことが奇蹟になってしまうのです。世の中が本当になれば奇蹟が本当のことで、そうなれば奇蹟とは言わなくなります。
それから一言言っておきますが、どうも浄霊に力が入るようです。よく御守護の電報が来ますが、じき治るようなことがたいへん困るように書いてあります。これはやっぱり浄霊に力が入るせいです。そこで治りが悪いのです。この力を抜くのはなかなかたいへんなものですが、力を抜くほど治るのです。そこで力を抜いて向こうに通らなければならないので、これがなかなかたいへんなのです。ですからどこまでも力を抜くということに注意するのです。そうすると、とてもよく治ります。ですから私もこうして浄霊してますが、力を抜くということはなかなか楽であって、骨が折れるわけです。