昭和二十八年十月十七日

十月十七日

 この間も話しておいた『アメリカを救う』という本を、約半月ばかりで急いで書き上げたのですが、翻訳の上手い人がいてその人のいろいろな仕事の都合で、どうしても今月半ばまでというので一生懸命書いたのです。なにしろ大統領始め各著名人に読ませるのですから、できるだけ分かり良く、少しも破綻がないように、ごく入念に書いたのです。なにしろ彼らが思っていることや、また教育したこととはぜんぜん逆ですから、それをなるほどと思わせようとするのですから非常に難しいのです。おまけに米国の医学というのは、あの通り新しい薬や手術や、いろいろとそういうもので骨を折っているのです。それをぜんぜんぶち壊そうというのですから非常に書きにくいのです。それでも否定することはできないように書いてあるつもりです。そこに一つ一つの病気について、お蔭話を多いのは六つ少ないのは三つ挿<はさ>んでありますから、理論と実証と両方で分からしてありますから、反対することはできないのです。五章だけが理論になってますが、これをいま読ませてみます。

(御論文『アメリカを救う』「序論」「病気とは何ぞや」「種痘と薬毒」朗読)

〔「著述篇」第一一巻八―一〇頁、第一〇巻六六〇―六六四頁、第一一巻一五―一九頁〕

 まだ二章ありますが、これをアメリカの人が読んだらびっくりするだろうと思います。それで病気は薬でなければ治らないと思っているのです。これだけ言えば、そうとう腹に堪<こた>えないわけはないと思います。あるいは問題になるか、センセーションを起すか、そうとう反響があると思います。

 それから今度、メシヤ教の信者で代議士に三人当選したのですが、これは、非常に骨折った信者さんもあるようですが、私からも……御礼といいますか、信者の労を犒<ねぎら>います。とにかく宗教で、しかも新しい宗教で三人も国会議員ができたというのはないそうです。メシヤ教だけだそうです。これからも、教団は直接政治的に関係はないから効果はないとしても、その教団の対外的信用です。例えばどこかで講演しても、現代議士という意味で非常に重きを置く、つまり信用ですが、それに大いに良い影響があるということはたしかです。やはりそういう必要によって神様がそうしたのですから、非常に結構だと思ってます。昨日一人来て、非常に喜んでいました。

 それから明日私は京都方面に二晩泊まりで行きます。名古屋に寄ってそれから京都、奈良へと、そういう予定です。これはみんな知っているでしょうが、嵯峨に将来の地上天国の土地と……。ちょっと見ただけでまだ充分見てないから、今度は充分見て……、まだそのほかにも、その付近に手に入れなければならない所があるようです。神様はあの辺になかなか深い計画があるようです。その用と、それから京都の美術館で浮世絵の展覧会があり、そこに私の所から五点ばかり出しました。私も非常に見たいですし、なにしろだいぶ大仕掛けのようです。

 来年は箱根の美術館で、今度別館を造り始めましたが、別館ができたら浮世絵展覧会をやろうと思ってます。だいぶ浮世絵の良い物も集まりつつあります。これは神様の計画で、そういうときには必ず浮世絵のすばらしいものが、頼みもしないのにひとりでに集まってくるのです。それでこれは浮世絵の展覧会をやれというのだなと思うのです。そういうようで、そうとうすばらしい展覧会ができるはずです。なおまだほかにもいろいろありますが、だいたいその用件で行くのです。聞いてみると、嵯峨の土地というのは、最初手に入れた所は一万八〇〇〇坪ですが、あの辺が平安朝時代の文化の中心だったそうです。藤原時代のいろんな絵に山が画いてありますが、今度の地所の周囲に二つ三つ山があって、それを画いたものです。それからよく水に月が写ったりしているのは、広沢の池を画いたのです。それからそこの地所の前の通りは蔦の細道といって、よく巻絵なんかにあります。そんなようで、あの付近一帯は藤原時代の当時の偉い人の住居があったのです。歌人などが多かったのです。紫式部とか清少納言という人たちがあの付近に住んでいたのです。そういうようで、あの付近が、どことなくおちついた、雅<みやび>た感じがするのです。私はあそこに「平安郷」と名前をつけましたが、そんなに深いことは知らなかったが、ちょうど名前が良く合っているわけです。つまり平安朝文化の中心です。奈良朝文化は仏教文化ですが、平安朝文化は仏教文化でない芸術的な文化の発祥地というのは、やはりあそこなのです。だからその点において歴史的にも非常に意味があるのです。ですからいずれはあの辺がそういった意味での新しい、むしろ世界的といった文化が、あそこを中心にできるのかもしれません。神様がいろいろ計画なさっているのですから、だんだん時の経つに従って分かってきます。そんなような意味で、非常に楽しみでありますし、おもしろいと思います。話はそのくらいにしておきます。

「昭和二十八年十月十七日」 昭和28年10月17日