昭和二十八年十月五日の御講話(1)

 昨夜自然農法の報告を見ましたが、すばらしい成績で、ちょっと良い所は一五俵ぐらいとれてます。ですから五割増産というのは嘘になってしまったわけです。三倍増産です。もっとも私は三年前に一〇割以上は増産になるということを書きました。本当は最初からそう書きたいが、そうするとかえって信じないと思ったのです。五割でもなかなか信じないのですから、倍とか三倍と言うと、かえって逆効果になって、馬鹿馬鹿しくて信ずる気になりませんから、それで遠慮して五割としたのです。ところが今度は、中京の渡辺さんがほうぼうを調査した結果、去年一八俵とったⅠという人も、そのくらいはとれそうだということを言ってます。そういうようなわけで、あっちの講演会などには人がたくさん来るようですし、会員もドンドンできるようです。ですから三倍増産は確実です。ごく内輪<うちわ>にみて二倍としても、いまの六〇〇〇万石の二倍とすると一億二〇〇〇万石ですから、余ってしようがないことになります。これを一度に世の中に知らせるため、なにかの方法をしようと思ってます。なにしろ今年の不作は、新聞やラジオで言っているとおり、実に馬鹿馬鹿しいくらいのものです。ところがあくまで迷信に固まっているのです。この間のニュース映画にもありましたが、虫害のためだと言って消毒薬、殺虫剤をさかんに撒<ま>いて、殺虫剤が足りないと言って、それを得ようとしてたいへんな騒ぎです。そうすればするほど逆効果になって悪いのですが、それに熱中してやっているのですから、この間書いたとおり「超愚」です。この超愚到る所にありで、これをなんとかして早く知らせなければしようがないのです。いままでのやり方、現在のは酷過ぎるし、またこっちでやる自然農法はあまりに良過ぎるのですから、両方の違いさというものは天と地ほどの違いです。まったく天国と地獄です。というのは、つまりものすごい迷信です。医学迷信のほうは、直接それほどはっきりはしないわけですが、いまの米のほうは実にはっきりしているのですから、非常にやりよいわけです。このほうは手っ取り早く分からせられるわけです。二、三年たったらすばらしいことになると思ってます。ところで信者の人の中にも、まだ肥料迷信から抜けられない人がだいぶあります。それで無肥料だ無肥料だと言いながら、ほかの物を使いたがったり、それからまた堆肥に頼るのが非常に多いのです。ですからいま書いているのは「堆肥迷信」というのですが、堆肥迷信もやはり一つの迷信です。だから本当は堆肥もやらないで、土ばかりがよいのです。ただ新しい土などの固まりやすい土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの、根元の土が乾きやすいのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生<なま>の堆肥をたくさんやると、雨が降ったときには根元に湿気を含んで乾かないために、それが有利なわけです。ですから果樹などにはそういった意味で堆肥をやると非常によくできます。堆肥というのはそれだけの意味です。古い土などは、そのままで堆肥もなにもやらないほうがよいです。それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があんまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁<わら>を土とねり混ぜて、根の底のほうに入れて、根を冷やさないというだけのためであって、ほかにはなにもありません。そういうようなわけで、堆肥迷信も分からせなければいけないわけです。近ごろはだいぶそれが分かってきたようで、土に重きをおくようになりつつあります。

 それからもう一つは、今年の成績でよく分かったのですが、深く耕すということが非常によいのです。それはいままで長い間たくさんやった肥料が、ちょうど稲の根が行くぐらいの所に固まっているのです。というのは、いままでは肥料をやるほど良いと思っていたから、なるべく根を肥料に近くするというやり方だったのです。それで今度は肥料からの悪影響を受けないために深く耕すのです。そうすると肥料の固まりの所が散らばりますから、つまり肥毒が薄くなるわけです。そのために非常に成績がよいのです。そういう具合に深く耕した所は、最初の年から三割くらい増産になってます。初年度からそういうふうですから付近のふつうの農民にはすぐ分かるので、オレもワレもと、ドンドン増えるのです。だから堆肥はなるべくやらないことですが、絶対にやらなければ、なお結構です。ですから深く耕すということだけで初年度から増産になります。

 それから土を穢さないようにということは、だいたい肥料というものは、地霊……土からは始終霊気が発散してますが、地球の真ん中は火の固まりで、それが始終上昇しているのです。そこで地霊には非常に熱があるのです。熱といっても体的の熱ではなく霊的の熱です。やはり浄霊と同じようなものですが、その熱が非常に強いのです。それで肥毒がないとその熱が始終通るから、それが肥料になるのです。それが地から上昇して空中にだんだん溜まって行くのですが、それが雨によってまた土にしみ込むということになり、それが窒素肥料です。だから土から肥料となる霊気が絶えず上昇しているということを知っていればよいわけです。そこで土を穢したりすると、それを妨げるわけですから、これもやっぱり「超愚」のほうです。

 それから今度『救世教奇蹟集』という本を出すべく新聞広告をしようと思ってますが、その広告文はほかの人ではどうも書けないから私が作りました。大きさは、ふつうの新聞は全部で一五段になってますが、その三分の一の五段二つ割りにしようと思います。ふつうは四つ割りにしますが、それではどうも貧弱ですから、二つ割りが大々的で一番よいです。

(『世界救世教奇蹟集』(広告文)朗読)〔「著述篇」第一一巻六四一ー六四三頁〕

 今年の台風はなかなか猛威をふるって大損害を与えましたが、これについては前にも書いたから分かってはいるでしょうが、また見方を違えて書いてみました。早く台風をなくする一つの警告というわけです。

(御論文「台風禍」朗読)〔「著述篇」第一一巻六二六ー六二八頁〕

 医学と浄霊の原理をはっきり分からせるには、有限力と無限力ということを説くと一番よく分かると思います。というのは、病気の原因というものは無限的なのであって、有限的の性質のものではないのです。ところが医学のほうの顕微鏡で見た黴菌というものは……つまり細かい粒子です。そうしてだんだん細かいものが見えるようになって……今日ではウイルスとなってます。ところがウイルスよりもまだまだ細かいものが発見されます。それは、科学のほうで中間子とか素粒子というのは、やはり粒子です。そういうようで、結局科学の進歩というのは、細かいものが見えるというだけのものです。ところがどんな細かいもの、たとえば一ミリの中に一千万個、一億万個と数えますが、数えるとそれで限度があります。無限ではありません。ところが一ミリの間に一億万個から十億万個となると、どのくらい小さくなるか分からないが、それでも十億という数があるのだから有限です。ところが実は病気は有限なものではないのです。肺病なら肺病でも、これだけの黴菌は何億万個ということが分かったとして、それを殺菌しますが、それで治るかというと治りません。なぜ治らないかというと、そのできた黴菌だけ殺しても、後から後から出てくるからです。伝染発生にしても自然発生にしても、黴菌が何億万個ということが数えられたとしても、それだけでおしまいなら、みんな殺してしまえばよいですが、だいたいできるということは、どこかから発生したもので漠然とでき

「『御教え集』二十七号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p142」 昭和28年10月05日