▽前節から続く▽
そういうわけで、いずれ京都のほうも始まります。それで熱海が現界で、京都はなにかと言いますと、京都もやはり現界ですが、こういうように考えるといいです。熱海のほうは西洋で京都のほうは東洋というようにも考えていいです。それで地というものはアジアに一番表われているのです。アジアがかたまっているのです。それからヨーロッパが水になっているのです。それでアメリカはまたちょっと違いますが、そういうような具合で世界的にいろいろな型ができているのです。ですからさっき言ったとおり二十の霊体ということは、これはいつも言うとおり、アメリカが体<たい>の中心で日本が霊<れい>の中心ですから、そこで二十年に終戦になったということは霊体が結んだということです。ですからアメリカと日本とは霊的には二十年に結んだのです。ですから二十年八月十五日に終戦になったということはそういう意味が根本になってます。そこで今度アメリカを開拓し始めるということは、それが小さく具体的に現われるわけです。そういうような具合で神様のことは実に深く、いろいろな型によって始まっていくのです。それは私にはよく分かります。しかし時期によって、やはり発表できる場合とできないことがあるのです。ですからその見当がつく救世教信者のおかげというものは、そういう点にも大いにあります。つまり先が分かるのです。世の中はどうなるかということも、五里霧中とは違いますから、こういう点に比べるとほかの宗教はぜんぜんたわいないくらいのものです。いまどき、何百年前何千年前の教義とかをありがたがって説いているのですから……。しかしあんまりそれを言うと先が怒りますし、それでは悪いから、あんまり言えません。しかしいま言ったような経綸と比べてみると、ほかの宗教は実に気の毒なくらいに思います。それでも、ほかの宗教もそういうことが分かるには分かりますが、やはり時の問題です。いつまでも分からないことはありません。やはり神様がなにかの形で分からせて救われます。ですからそういう経綸がいずれ起ってきますが、なにしろそういうことに対しても非常に大きなことですから、むしろ私も、神様はどういうようにやるかと思って興味を持って見ているくらいです。
△御講話おわり△