秋期大祭御教え 昭和二十八年九月二十六日(1)

 今年の六月一五日のときに「これから浄化が本当になるから、なにがあるか分からない」と言いましたが、それから間もなく九州の水害があり、それから今度の台風も、その掃除がなかなか念入りになってきました。今年のようにしつこい台風はないでしょう。やはりいろいろ汚いものが溜まるからですが、土は肥毒が溜まり、人間は薬毒が溜まるのだから、どうしても神様は、だんだんきれいにするについては、いろんな方法で掃除をしなければならないのです。昨日の演芸で柴田早苗という有名な人が来ましたが、夜眠られないと言うので、頸をちょっとみてやりましたが、その薬毒の固まりというものはたいへんなものです。それで「あなたはいま日本では国宝みたいなものだから、治してあげるから月に二、三回来なさい」と言ってやりました。それから堤真佐子という人が、私もついでにみてもらいたいというので、みてやったところが、早苗ほどではないが、ものすごいのです。ああいう人は始終いろんな薬をのんでいるので、本当に浄化が始まったら命はありません。だから柴田早苗にも言ってやりましたが、非常に喜んでました。ですから現代人での少し新しいような、気のきいたような人間は、みんなこういうようだと思えばよいです。そういうようなわけで、土は肥毒が固まっていてどうにもならないし、人間は薬毒の固まりみたいなものですから、前途が思いやられます。

 自然農法ですけれども、だいぶ注目されてきたようです。今年はいろんな害がありますが、特に病虫害、冷害、水害と、主な害が三つあります。そこであのとおり不作なのです。いろんな数字がありますが、結局七、八百万石の減収はたしかだと思います。ですから一割ではきかないです。とにかく大問題です。それでまたこういう事情になればなるほど、自然農法のほうが分かりやすいのです。そんな影響で各地とも、その土地の篤農家とか有力者というのがよほど分かってきたのです。ですから会員もドシドシ増えてますから、この分でゆくと、全国的に普及されるのはあんがい早いと思ってます。今日はわずかの時間しかないので、ラジオのニュース的に要点だけをお話しします。

 米国のほうの布教は着々と発展しつつありまして、近々サンフランシスコ、シアトルに支部ができるだろうと思っています。どちらにも信者が三人ずつできました。それで現在のロサンゼルスと三カ所で本格的に活動を始めるだろうと思ってます。だから来年あたりになったら目覚ましい発展をするだろうと思います。

 次に、この間世界中の科学者が日本に集まって理論物理学の会議がありました。これについて私はもう少したったら科学の理論を書こうと思ってます。今度世界中の科学者が集まっての論議の中心はだいたい物性論です。湯川博士などは特にこれに力を入れてますが、この物性論というのは素粒子論から一歩進んだものです。物性論というものは、いままで発見した微粒子よりいっそう細かいものです。しかしまだ実験物理学では把握できないものです。それで素粒子というのは湯川博士がノーベル賞をとったのですが、宇宙線を写真に写すときに六つか七つの粒子が写って、それが中間子ということになったのですが、それは実験物理学で発見して確定したわけです。ところが物性論というのは、もういっそう細かいものです。そこで理論だけではたしかにあるというけれども、まだ実験の証明はできないのです。素粒子まではいま言う宇宙線によって物理的に分かったけれども、物性論のほうはなかなか難しいのです。というのは、もう霊のほうに入ってきているからです。ですから科学というのはだいたい物理科学ですが、科学はいま、量子力学のほうに入りかけてきたのです。ですから科学がこれから先に行けば行くほど、だんだん分からなくなってきます。というのは、結局お辞儀するよりほかありません。それで私が書こうというのは物性論から先の分野です。それでこの間も顕微鏡何万倍ということを書きましたが、あの理屈なのです。ですからこれから進んで行くと、ますます分からない所に入って行きます。それについて京都での開会式で湯川博士が「いまの科学はちょうど暗闇の中にみんなが集まっていて、各々どっちのほうに行ったがよいかということを考えたり論議している状態で、どこかに行かなければならないが、しかしどこがたしかだということは分からない。五里霧中だ。それがいまの科学界の現状だ」ということを言いましたが、うまい言い表わし方だと思います。そこで科学はつまり霊界に入ってきたのです。すなわち自分の受け持ちでない所に入りかけてきたのです。そこで結局どこまで行くかというと、この間も言ったとおり無限界です。科学というものは、たとえ素粒子だとか物性論だとか言ったところで、またそのものが発見できたところで、それをいかに全人類に役立たせるかということが最後の問題です。それには力です。それについてはこの間も科学者で量子力学を話した人がありますが、結局量子力学で、力です。その発見した物質なり粒子なりの力をどうすれば出せるかということです。要するに原子爆弾も原子科学から力を発見したわけです。これは私はその原理は『信仰雑話』にも書いてあるとおり、地球から水分を抜けば一瞬にして爆発するというそれです。これだけの範囲の中から水分を抜いて、からにしてしまうというのです。ぜんぜん水分をなくすれば気体が爆発します。そうするとたくさんの核というものがあって、次のを爆発し、また次へと行く。それがある程度に行くのです。私はこの理論は二十何年か前に書いているのです。その方法を科学のほうで発見したわけですが、これは科学のほうでもかなり成功したほうです。いまのは原子科学の力を出したということですが、それとても一部です。よく、水素爆弾を東京で爆発させると沼津あたりまで破壊するということを言ってますが、しかし日本全土を破壊する、あるいは東洋全土を、世界全土を破壊するというわけにはゆきません。それはつまり物質の力だからです。物質の力というのは有限力なのです。有限力とは限りある力ですから知れたものです。ところが科学が自分の分野でない霊のほうに入るとなれば、科学ではなくなるのです。結局科学は粒子ですから、これは数えられるわけです。何億何十億の粒子だとて計算ができますが、そうすればそれで限度があるのです。ですからどうしても無限でなければならないのです。無限粒子というわけですが、しかし粒子という名もつけられません。要するに無限力です。それで浄霊で病気が治るということは無限力です。この無限力というのが神様の力です。ですからロサンゼルスも最近非常な奇蹟のお蔭がいくつもありましたが、そうすると私から発する霊がロサンゼルスまで行くのだから、とても原子爆弾どころの小さなものではありません。そこに有限力と無限力の違いさがあるのです。それでやっぱり有限力では限度があるから、人を救うとか世の中を良くするということはできないのです。ある程度まで、ある範囲までという所ですから、それでは駄目です。ちょうどいま、共産主義とか資本主義とかいって争っているようなものです。そういう主義というものが有限なのです。それで世の中は良くならないのです。それで一つの主義をよくすると他の主義をやっつけることになり、それでは全体を良くするということはできません。ですから世界人類を救うということは、世界全土に力が行かなければならないのです。それが神様の力です。そういうことを昨夜大下宇陀児<おおしたうだる>さんに簡単に話したところが「これは救世教を見直さなければならない。科学のそんな奥のほうまで言うとは、いままで考えていたのはまるで間違っていた」と、つくづく言ってました。それで浄霊でどういうわけで病気が治るかということを、いま言った理論科学的に、だれにも納得のゆくように詳しく書くつもりです。そうするとどうしても神様の解剖ということになるのです。そこで神様を解剖するといっても、主神<すしん>は別ですが、いろんな神様の種類があるし階級もありますから、そういうこともよく分かるように書きます。そうすると宗教も科学も別々に見ることはできないのです。結局同じではないが……大きく言えば同じですが……ただ価値から言うと安いものと高いものとの違いです。つまり科学は安物なのです。それで神霊のほうは、あんまり値打ちがありすぎて値段をつけられないくらいなものです。そういうことも書くつもりです。お祭りの話のようでなく、大学の講義のようになりましたが、ちょうどこの間科学の会がありましたし、これは学問上から言っても新しい説で、これほど新しい説はないのだから、早くお話ししようと思って話をしたわけです。

 美術館もだいぶ知れ渡ってきて、観覧者もだんだん増えてきました。特に外人の問にもだんだん知れてきたとみえて、必ず何人か来ます。そういうわけで、来年あたりになるといっそう認められるようになるわけですが、それについて、来年の計画としては第一番に桃山展をやろうと思います。これは去年東京のあるデパートでやり、私のほうでも少し出しましたが、あれはごく貧弱なもので、ただ一般の客寄せみたいなものでした。来年こっちでやるのは、すばらしいものになると思います。門外不出の、だれも知らないような物がそうとうにあります。そういう物だけは、いずれ桃山展をやるときにと思って、いままであんまり出品しなかったのです。ですから来年出すときには、ほとんど見ない物ばかりと言ってもよいのですから、大いに楽しみに待っていてよいと思います。それから六、七の二カ月は近代名品展というのをやります。そうして八、九、一〇の三カ月は第二回の浮世絵展をやろうと思います。今年の浮世絵展は非常に評判がよかったし、それからまた奇蹟的に良い物がずいぶん集まって、まだあそこに出さない物がそうとうにありますから、来年はぜんぜん変わった物を出すつもりです。近代名品展のほうは明治以来の名人の傑作品というわけです。工芸品のほうは、蒔絵の松民<しょうみん>、松哉<しょうさい>、自得<じとく>、包美<ほうび>。彫金は加納夏雄<かのうなつお>です。幾人もいますが、明治以来の名人としては夏雄が傑出してます。彫刻は佐藤玄々<さとうげんげん>、平櫛田中<ひらくしでんちゅう>。陶器は板谷波山<いたやはざん>。堆朱<ついしゅ>は楊成<ようぜい>。竹細工は飯塚琅Ы斎<いいづかろうかんさい>。絵のほうは、抱一<ほういつ>、是真<ぜしん>、雅邦<がほう>、芳崖<ほうがい>、栖鳳<せいほう>、鉄斎<てっさい>、大観<たいかん>、玉堂<ぎょくどう>、春草<しゅんそう>。だいたいそういうような人たちのを出すつもりです。この中には門外不出の物がずいぶんいろいろありますから、これはまたすばらしいものになると思います。

 それから熱海のほうもだいぶ進捗しつつありますが、いまやっている「救世会館」は来年の春ということになってましたが、どうも神様のほうではよほど念を入れて、あんまり急いでやって欠点のあるようなものになってはいけないというので、なかなかゆっくりされるのです。それで間違いのないところ秋に開館式になるというようなわけです。景観台のガラスの家はわけなく一緒にできるでしょう。その次に美術館ですが、美術館は勿論ここのより大きいことと、すべての点において、ここの見本で分かりましたから、いっそう良いものを造るつもりです。それから今度は箱根の光明台ですが、そこの敷地もこの間行って土地の設計だけはやりました。これは丸い家ですが、半円形ではなく、円形がもっと多く三分の二くらいの円形にして、外観を見るとちょうど昔の国技館というような形になります。つまり末広形です。なにしろ人数は一万人を入れるつもりですから、長方形や四角ではうまくありません。そこで円形にして、ここに私が坐って、まわりに丸くゆくと大勢入れるし、話もよく聞けるわけです。こういった四角なのは間抜けなのです。椅子も直線にしてますが、これが丸くなると遠くからも放射状的に向かい合えますから、これに限るのです。いままで世界でもそういうような建て方はあまり見ないが、もっともそんなに大勢入れるつもりもないのでしょうが、これも新しい企画だと思ってます。それにはなんと言っても向こうに突き抜ける道が先の問題ですから、そこでケーブルの下のトンネルをこれからやるつもりです。そうしていま花畑になっている所に広い広場を作って、そこに信者の宿舎を、会別か県別にするかして、少なくとも一万人以上泊まれるくらいのものを造りたいと思ってます。しかしあるいはそれは難しいかもしれませんが、はみ出た者はやっぱり宿屋のご厄介になるかもしれません。もっともあんまりこっちばかりでやると、宿屋のほうで期待していたのがまるっきり駄目になって、困るというので、また嘆願書などが出ますから。それで殿堂には一万人ですが、多くなったときには、テントを張って二万人ぐらい入るような広さにするつもりです。約五〇〇〇坪ありますが、家が二五〇〇坪か三〇〇〇坪です。約半分くらいでできます。そういう計画で、これから土地を作るのですから、建築はどうしても三年ぐらい先になりましょう。またちょうどその時分にはそのくらいのものが適当するような情勢に神様がされるでしょう。なにしろ神様の計画はだいたいできあがっているのですが、ただ時期です。時期が来ると私にそういう指図をするというようなわけですから、いつも言うとおり、はなはだ気楽な話です。それだけ設計するのに、ちょっと行って三〇分ばかりですまして、明くる日にはその仕事をする植木屋や土木のほうに命令しました。

「『御教え集』二十六号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p」 昭和28年09月26日