今年の秋は珍しく毎日のように雨ですが、霊的には大いに理由があります。とにかくこれも浄化作用ですから、浄化が強くなったということが最大原因です。今年の農作物の虫害が多いということも、霊界における火素<かそ>が増えたために、善いものと悪いものとの区別がはっきりするわけです。ちょうどいままでは薬をのむと一時固まったものが、だんだん固まらなくなるのと同じように、農作物に肥毒の害がはっきりと著しく現われるわけです。それで今年は非常に雨が多いということも、やはり雨で洗うべき汚いものがたくさん溜まるということに対する、当然起こるべき浄化作用です。そういうように、いろいろな形で浄化作用が現われるわけです。なにしろ今年から本当に世界的大浄化の活動が始まったわけです。それを知っていて見ればよく分かります。そういうわけで、今年の不作というものは予想外に酷いのです。そこで自然農法の理由がよく分かります。今年ほど虫害の多い年はありません。それから今年ほど肥料と害虫駆除の薬の量を多く使った年はないそうです。ですからそういった薬や肥料と、不作ということがちょうどつり合ってますから、非常によく分かります。だから各地方とも信者以外の農民で「自然農法普及会」に入会するのが非常に多いようです。こういうような結果が現われるということは、神様のほうで如才<じょさい>なく「これでもか、これでもか」と、分かりよいようにいろいろやられているのだろうと思います。つまり浄化作用ということは、神様はどうしても、間違ったことは正さなければならない、汚いものは掃除しなければならない、ということと、一人でも人間を助けようという両方なのです。「大慈大悲」ということを昔から言われてますが、「大慈」というのは助けてやろうという大いなる愛です。それから「悲」というのは、それにはどうも犠牲者が出る、かわいそうだ、そういう御心の現われが「悲」です。ですから「大慈大悲」というのは、意味からいうと逆のようですが、そういうように考えてゆくとよく分かるわけです。だから観音様に「大悲菩薩」というお名前があり、大いに悲しむというわけです。これからは犠牲のほうが多いから「大悲菩薩」のお働きというわけです。
今日は少ない時間で話す項目が多いので、ニュースの放送みたいなものになりますが、簡単に要点だけをお話しします。
自然農法のこと。
米国の布教状況。
美術館のこと。
理論神霊学……いま騒がれているのは理論物理学です。
光明台の建設……仮に「光明会館」と名をつけますが、できあがるときにはまた変わるかもしれません。
自然農法については、まだ信者の人の中に迷信があるようです。それは堆肥迷信です。いつも言うとおり堆肥には肥料という意味はないのです。ところがやっぱり肥料迷信が根強く入っているために、堆肥も肥料のように思ってやりすぎるのです。ですから堆肥をやると、それだけ根伸びの邪魔をしますから成績が悪いのです。本当いうと、なにもやらないほうがよいのです。土ばかりがよいのです。そうすると一番よくできます。ただ、ごく寒い寒冷地では温めるために使うという意味と、乾く土地の場合に乾かないように堆肥を厚くしておくとよいです。そうすると湿り気があるから乾き気を防ぐということになります。新しい土などは非常に固まりやすいのがあります。特に赤土がそうですが、土が固まるといけないから、固まらせないために堆肥をやるのです。その場合には堆肥を非常によく腐らしたほうがよいです。あらかた土に変化したくらいに柔らかくして、それを混ぜるのです。だいたい堆肥はそれだけの必要からやるのです。ですからあくまで土を生かすということを考えるのです。それから土を生かすということについて、こういうことを考えなければなりません。それは連作をしなければならないのです。よく連作がいけないと言っているが、おかしいのです。昔から一番連作をしたのは稲です。それで連作はいけないと言いながら一番肝腎な米だけは連作をやってますが、これには気がつかないのですから滑稽<こっけい>なくらいです。その場合に、連作をすると土のほうにその作物に適当するような力が出るのです。ちょうど人間の仕事と同じで、一つ仕事をやっていると熟練してきます。商人だと年々御贔屓<ごひいき>が増えてきて、商売のコツも覚えてくるというようになります。土も同じです。豆なら豆を育てるような性能が出てくるのです。そういうようで、連作をするほど良くなるのです。いままで連作を嫌ったのは、肥料の害を受けている土だから連作はいけないと言っているのです。これが一番分かりいいのは、薬です。特に胃の薬ほど分かりますが、一つ薬をのんでいると効かなくなります。そこで薬を変えると一時効くのです。というのは、その成分に対して体のほうが、つまり抵抗力というか、慣れてしまうので効かなくなるのです。それでいま「肺病で死ぬのが延びた」それから「寿命が延びた」という、これがその理由なのです。最近ストレプトマイシンとかパスという新薬は、抗生物質といって、いままでとはぜんぜん違った成分の薬なのです。それで抗生物質が非常によいという学説になっているようです。というのは、いままでのんだ薬とはぜんぜん違った成分だから効くのです。効くということは浄化停止の力が強いのです。そこで浄化が弱るからして死ぬのだけは延びるわけです。だからこれを続けて何年か後には、抗生物質に人間の体のほうが抵抗するというようになるから、そうなると元<もと>の木阿弥<もくあみ>になります。そこでいまは、肺病などにストレプトマイシンをやると数カ月後には菌のほうの活動力が非常に強くなって、これをどうしたらよいだろう、というのが、いまの医学界の問題なのです。そういうようで、作物に対する肥料というのも同じです。そこで土の力を増すようにすれば、いい意味のそういった働きが出るのです。
米国のほうは先月からロサンゼルスを根拠として活動を始めましたが、予想以上にだんだん発展しつつあります。最近サンフランシスコ、シアトルに信者が三人ずつできて、近々どっちにも支部ができるつもりです。そうすると支部は三カ所になるわけです。それからまたドンドン増えますから、アメリカは割合に早く各都市に支部ができるでしょう。大本教のお筆先に「灯台下は真暗がり遠国から分りて来るぞよ」ということと「遅れただけは一度になるぞよ」というのがありますが、これはよくそれを示しています。ですからハワイは勿論ですが、アメリカなどは遅れているわけですから、発展が急激になるのです。といったところで、いまのところは在留の日本人ですが、それは一つの足がかりで、やむを得ません。しかしいずれはアメリカ人のほうに広がってゆくわけです。それでいままで日本の文化で、外国に影響を与えたというようなものはほとんどありません。ようやく、日本の古美術ぐらいなものでしょう。あとはみんなこっちのほうで先方の後塵<こうじん>を拝しているわけで、情ない話です。そこで今度は救世教が外国の人に頭を下げさせるようなことになるわけですが、ある意味においては大いに痛快な話です。
美術館もだんだん知れ渡ってきまして、観覧者も大いに増えつつあります。勿論非常に評判もよいです。来年あたりになったら、またずっと増えるだろうと思います。それから外人の間にも非常に知れてきて、ほとんど来ない日はないくらいなものです。この間の日曜には一三人来ました。私は外人のほうに知らせたいと思っているのですが、とにかく日本人の優秀性を知らせるには美術館がごくよいのです。いずれは医学や自然農法なども知らせますが、とにかく最初としては日本の美術が一番手っ取り早いのです。外国の新聞雑誌などにもときどきは出ているようです。そうして美術館の来年の催し物としては、桃山展をやります。桃山時代のいろんな良い物がだいぶ集まってます。去年東京のあるデパートでやりました。私のほうのも少し出しましたが、ごく貧弱なものです。こっちでやる桃山展は、それから見ると段違いで、すばらしいものです。私はそういう考えでいたので、いままで美術館には桃山時代の物はあんまり出さなかったのです。ですから来年は門外不出のすばらしい物が出るはずです。桃山時代で一番の代表とも言うべき物は屏風です。桃山時代に一番豪華な屏風ができました。絵では宗達<そうたつ>が一番です。それから光悦<こうえつ>です。茶器類、茶碗では、利休や遠州<えんしゅう>という人たちが大いに骨折ってます。楽茶碗とか尾張の陶器といった物ですが、私もできるだけ集めてありますから、そういう物を出します。ですからこの桃山展は世の中の人が大いに驚くだろうと思ってます。それから別館のほうでは六、七月に日本の近代名品展というのをやろうと思ってます。明治以来の名人の作った傑作品展です。蒔絵では、松民<しょうみん>、松哉<しょうさい>、自得<じとく>、包美<ほうぴ>。彫金では加納夏雄<かのうなつお>という人が一番の名人です。陶器では板谷波山<いたやはざん>。堆朱<ついしゅ>は堆朱楊成<ようぜい>。彫刻は佐藤玄々<さとうげんげん>、平櫛田中<ひらくしでんちゅう>。ほかにもいろいろありますが、私が見る眼ではこの人たちが一番の名人です。世の中の眼のきいた人、慧眼者はやはりこういう人たちの作品に大騒ぎをします。絵では抱一<ほういつ>、是真<ぜしん>、雅邦<がほう>、芳崖<ほうがい>、栖鳳<せいほう>、春草<しゅんそう>、大観<たいかん>、玉堂<ぎょくどう>というような人たちです。これもそうとう見るべきものに違いありません。むしろ門外不出の物が多いです。こんな良い物がどこにあったろうというような物がだいぶあります。それから浮世絵展は非常に評判がよいです。それでいまここにあるだけの浮世絵は日本では一番だそうです。日本で有名なのは松方コレクションで、これは博物館にそっくり来てますが、ほとんど版画です。それは、数はありますが、ここにあるのは一品ぞろいだそうです。もっとも私は厳選しました。それからもう一つは版画で、現代版画がすばらしいものです。いまは注目されてきました。特に吉田博<よしだひろし>のはすばらしいものです。この人のはいま外国では非常に騒がれていて、非常に高く売れるそうです。それがだいぶ集まりました。吉田博のを一列そっくり並べたので、見れば分かりますが実にうまいです。ほかにも新人でなかなかうまいのが出てきたようですが、これからは現代版画というものが立派な地歩を得ることになるだろうと思います。この間ラジオで聞きましたが、近ごろは小学校などで会をつくって、版画がそうとうに、はやってきたそうです。これは非常に簡単で金がかからないので、ごくよいわけです。ですから版画流行時代というものが、これから来ることになりましょう。それからまだ美術館に出さない版画の一品も、ときどき買いつつありますが、今年は間に合わないから、来年にしようと思ってます。この第二回の浮世絵展は八、九、一〇月に開催しようと思います。美術館についてはそのくらいにしておきます。
今度外国の偉い学者たちが日本に来て会合を開いたことは、新聞雑誌でよく知っているでしょう。これは湯川博士がノーベル賞を得て、日本人にもそういった能力があるということを示したのが原因でしょう。それであの会の狙い所はなんといっても物性論です。これはつまり素粒子論から進んだものですが、素粒子というものは、粒子のもっとも小さなものです。これは顕微鏡で見えないくらいの小さなものですが、たしかにあるということはよく分かるのです。素粒子の濃厚なのや固まったのは顕微鏡でも発見できるのです。ところが物性論というのはまだ分からないのです。これは物の性質ですが、というのは気です。われわれのほうで言うと霊ですが、そこに入ってきたわけです。だから科学のほうは、いまちょうど、宗教と科学、あるいは物質と霊というところの継ぎ目の所に来たわけです。これから科学が進むと、もう科学ではなく宗教の分野に進むわけですが、そこまでは気がついてないようです。この間の開会式のときに湯川博士が「いまはみんなが暗闇の中でどっちに行こうかと迷っている」ということを言われましたが、うまい譬<たと>えで、まったくそのとおりです。つまり想像でいく所がたくさんあるのです。それでここならたしかだという所は一つもないのです。ですから科学者が研究する場合に、研究が多方面だというのと、まったく五里霧中だというのと両方ありますが、それはそういった意味です。そこで私は、いま書いている『医学革命の書』の次に「理論神霊学」というのを書こうと思ってます。これはいま言う理論物理学のずっと進んだ所です。というのは、いまの理論物理学が進んだ所が理論神霊学だということを知らせるためです。そこでこれについてのもっともの急所……肝腎な所は、いままでの物理学は結局は力なのです。今度も力の粒子について説明した学者があるようですが、つまり量子力学です。力の発見によって、力の運用によって初めて効果があるわけです。だから原子爆弾も力です。爆発によって火の力が最高度に達したものです。ところが私の理論神霊学の骨子は無限力です。力には有限力と無限力とがありますが、科学で作る力は有限力で、限りがあるものです。つまり粒子となれば、要するに粒々ですから、それで限度があります。ところが無限力というのは粒子ではないのです。もっと奥のものです。そこで浄霊で病気が治るということは無限力の発揮です。それで医者のほうのラジウムとかレントゲンというものは有限力です。そこがたいへんな違いです。そこを説けば浄霊で病気が治るという原理は分かります。まるで大学の講義のようで、学術会議のようになりました。お祭りにしては少し固苦しい話ですが、今度理論物理学会があったばかりですから、一つの時期に合うと思って話をしたわけです。
まだ話すことがありますが、時間がないのでこれだけにしておきます。