秋期大祭御教え 昭和二十八年九月二十三日(1)

 今日は珍しく雨ですが、雨が降るということは、光が強くなるほど降るのです。光が強いということは、やっぱり熱が強いのです。今日はここは二〇度で、東京は一七度なのです。ですから東京より三度高いのです。だいたい今年は平均して東京よりも強羅のほうが暑いのです。こういうことはいままでにないのです。けれどもその割には東京よりも涼しいということは、空気が乾燥しているためです。空気の乾燥ということは、暑さによほど違います。五度以上は違います。箱根は霧があったりするので、たいへん湿るように思ってますが、実は高山地帯というのは乾燥しているのです。それからまた今年はほうぼうに水害があって非常に雨が多いですが、これも霊界に火素〈かそ〉が増えたわけなのです。今日は時間があまりないのに、お話しすることの項目が多いので、簡単に要点だけをお話しします。

 自然農法のことですが、普及会の会員も大いに増えて、だいぶそういった方面の注目を引いてきました。また今年ぐらい不作の年はありません。昨日の発表でみると五八五〇万石というのですが、そうすると最近一番とれた年が六六〇〇万石ですから、七五〇万石の減収です。それがヤレ農地改良だとか、いろんな施設をしたり、肥料なども今年はいままでで一番多いそうです、それにもかかわらず、かえって逆になるのですから、やっぱり私の言う説のとおりになっているわけです。なるほど九州の水害はそうとう影響しましたが、しかし全体からみるとそれほどでもありません。むしろ東北地方の冷害のほうが大きいです。この冷害というのは、ただ冷えるだけでなく、冷害のために害虫が死なないのです。天候やなにかで害虫が弱ったり死んだりしますが、この冷害のために虫が弱らないのです。その害が大きいのです。ですからただ寒いだけでとれないものなら、昔から有名な越後や信州や秋田でもとれないわけです。寒いためにとれないということは、結局虫が減らないからなのです。そういうわけで害虫の影響が一番大きいのです。ということは、肥料がわかせるわけです。それから、こういうふうに不作にすれば早く分かるという、神様の一つのお仕組みと思ってもよいのです。しかしどうも、神様はずいぶんひどいと思うかもしれないが、本当に知らせるには、やはり病気と同じようなもので、人間苦しまなければ分からないのです。だからこの苦しみは一時的で、結局将来は非常に大きな良い結果になるのですから、これもやむを得ません。

 それから米国への布教ですが、先月からロサンゼルスで始めたのです。まだいくらにもならないが、シアトルとサンフランシスコにも非常な奇蹟でどっちも信者が三人ずつできたのです。ですからこれも近々支部ができると思います。すなわちロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルに支部ができて活動を始めるわけです。非常に早いです。今年いっぱい……といって年末までですが……にはそうとうに何カ所かに拡がると思ってます。それであっちが燃え始めたら、とても日本どころではありません。非常に早いです。おまけに、あっちのほうはだいぶ遅れていますから、神様のほうは非常に急がれています。来年あたりは目覚ましい発展をするわけです。それからハワイは無論ドンドン発展しつつありますから、非常におもしろいと思います。いつも言うとおり、アメリカで発展することが日本の発展に一番刺激になるのです。アメリカの物ならなんでも良いと思っているのですから。……化粧品の広告などを見ても、「アメリカ、アメリカ」で、必ずアメリカ製とか、アメリカではやるということが出てますが、あれを見てもいかに日本はアメリカ崇拝がさかんかということが分かります。ですから宗教も、大いにアメリカ人に発展するという、それだけでも、一番の宣伝になるわけです。

 それから美術館もだんだん知れてきて、観覧者も増えつつあります。特に外人が来るようになりました。この間の日曜には一三人来ましたし、ほとんど毎日何人かは必ず来てます。これもたいへんおもしろいと思います。来年の計画は桃山展をやろうと思ってます。去年でしたか、東京のあるデパートで桃山展をやりましたが、間に合わせのようなものでした。こっちのは、ちょっと驚くような計画です。そういった品物もそうとうに集まっていますし、前からそういうような計画がありましたから、なるだけ見せないようにして、「これは」という物は出していないのです。ですからそうとうに評判になると思ってます。それからもう一つは近代名品展というのをやって、明治以来のすべての傑作品を出そうと思ってます。これもいままで門外不出の物がほとんどなのです。近代美術でこんなにも良い物ができていると驚くような物もそうとうにあるつもりです。たとえて言えば工芸品は蒔絵の白山松哉〈しらやましょうさい〉、彫金の加納夏雄〈かのうなつお〉、彫刻の佐藤玄々〈さとうげんげん〉、竹細工の飯塚琅Ы斎〈いいづかろうかんさい〉、陶器は板谷波山〈いたやはざん〉、堆朱〈ついしゅ〉は楊成〈ようぜい〉、……これらの人は明治以来の工芸では第一人者ですが……そういう人たちの特に傑作ばかりです。ですからその道に趣味のある人には垂涎物〈すいぜんもの〉ばかりと思います。それから絵のほうでは栖鳳〈せいほう〉、大観〈たいかん〉、玉堂〈ぎょくどう>、春草<しゅんそう>、雅邦<がほう〉、芳崖〈ほうがい〉、抱一〈ほういつ〉、そういう人たちの傑作ばかりを出すつもりです。それで桃山展は会期中やりますが、いまの近代名品展というのは、六月、七月の二カ月の予定です。それから浮世絵展がばかに評判がよいので来年もやりたいと思ってます。それに新しい物も入ってますから、そこで第二回の浮世絵展を八、九、一〇月にという予定です。  それからいま世界中の学者が来て会をやってます。これは湯川博士のあれだけの功績に対して、そういった学者が日本に集まるというわけで、これは日本としてもその方面だけは、ようやく世界の水準になったので、たいへん結構です。ところでいま中心となっているのは物性論です。これはつまり素粒子論から物性論に入ってきたのですが、物性論というのは、まだ顕微鏡などでも分からないもので、けれどもあるという物の性質、つまり霊です。そこに入ってきたわけです。それでそれから先には進めない。ここで行き詰まっているわけです。ですからこの間の開会式で湯川博士が、「ちょうど暗闇の中を、みんながどっちに行こうかと迷っているようなものです。それがいまの科学界だ」と言ってましたが、うまいことを言ったもので、まったくそのとおりです。それでいまの科学では物性論から先には行きようがないのです。そしていまのは理論物理学ですが、私のは理論神霊学です。それは理論物理学から先に行くと理論神霊学に入ってくるのです。それはもう科学ではないから宗教には違いないが、しかしそれはいままでの観念で見る宗教観とは違うのです。というのは、まだ宗教でもそこまでは分からない世界です。それでいままでの宗教は水準がまず科学と同じくらいなものですから、私はその先を説くつもりです。そうなると神様の解剖ということになってきますが、これはまだだれもやったことがないのです。それがすっかり分かると、浄霊で病気が治るということもなんでもなく分かります。従っていくら科学者でも、浄霊で病気が治るということだけはどうしても想像がつかないのですが、それを説くつもりです。どこまで説けるか、なにしろ難しいのです。そうすると善と悪の根本もすっかり分かります。ですからこれはたいへんな未来の学問です。  それから二、三日前に光明台に行って、だいたい地面の設計だけはしました。三〇分くらいで、すっかり言いつけてしまいました。これはどうしても三年ぐらい先になりましょう。丸い家が建ちます。だいたい建築は三〇〇〇坪ぐらいで、一万人収容の予定です。それから家の外のまわりに立てるのが二万人くらいのつもりです。だいたい形やいろいろなことはすっかりできましたが、なにしろ一万人の人間が、四角のでは遠過ぎてとても駄目ですから、そこで、そう遠くならないようにしなければならないのです。それには円形よりしかたがありません。ちょうど外観は前の国技館というような形になりましょう。そうしてだいたい全部丸いのでもなく、半円形でもなく、三分の二くらいの丸さです。そうしてそれは扇形、末広形になります。というのは、これ(扇)形は末広がりで、非常に発展する形なのです。富士山は末広と言います。それでここに要〈かなめ〉がありますが、ここに非常に神秘があります。それはいずれ話します。要というのは、たいへんな意味があります。だいたい今度の光明会館はそういったような形になるわけです。それはずっと先のことで熱海ができた後のことです。それで神様はすべて順序ですから、チャンと順序が合わないとスラスラと行かないのです。だからなんでもやってみてスラスラと行かないことは、みんなどこかに、霊的に間違ったところがあるからです。そこに気がついてやり直し、計画を変えるということが肝腎です。そうするとスラスラと行きます。だから楽に行くことでなければ、うまく行くものではありません。苦しむようでは決してうまくは行きません。箱根ができて熱海に移り、熱海ができて今度はまた箱根に行く、という順序なのです。それで私のやっていることは肝腎な経綸ですから、ちょっとでも順序が違うとすぐに神様からやられてしまうのです。これは古い信者の人はよく知ってますが、とてもおもしろいのです。  それから私のお腹にある光の玉はだいぶ大きくなってます。ドンドン大きくなりつつありますが、これが世界的に大きくなったときがミロクの世です。そこまで大きくならないうちに、いけない者は片づいて行くわけです。まだいまのところの大きさは、この会場くらいの大きさですが、これがドンドン大きくなって行きます。ということは火素が増し、浄化が本当に強くなるということです。そこで自然に善い悪いの差別がついてくるのです。それを知っていて世の中を見ると、もう二、三年も先になると、だいぶはっきり分かってきます。  題目みたいな話になりましたが、時間がないからそのくらいにしておきます。