『御垂示録』二十四号 昭和二十八年九月一日(2)

〔 質問者 〕木材会社に勤めている信者でございますが、材木の運搬に山に行き、谷底に転落いたしましたが御守護で一命は助かりました。しかし左の腕の関節上部は、筋肉も血管も切断されました。一緒にいた者が未信者でありますので、すぐに止血をして、四時間後に金沢の病院に担ぎ込まれ、切らなければ駄目だと言われましたが、本人が反対でそのままにしておりました。それから一週間ほどして指先から手頸の所まで脱疽のように真っ黒くなり、手術をしなければと言われてそこより切断されました。

【 明主様 】それはなんでもありません。内出血がそこに溜まったのです。切断したりするのでは信者でもなんでもありません。

 

〔 質問者 〕それから三週間して腐爛してきたので。

【 明主様 】腐爛はしません。ただ腐爛したように見えるのです。

 

〔 質問者 〕その後肘の上から切断しております。本人は後でまことに申し訳ないと申しております。

【 明主様 】この場合担ぎ込まれるのはよいです。そういう場合はしかたがありません。しかし切るのが間違ってます。これは紫色や黒くなって、だんだん上のほうに行くのです。というのは内出血が最初は指の先から、だんだん溜まってゆくのです。その内出血の分量が、ここですむか、もっと上までゆくか、その分量によるのです。それは腐れたように見えるのです。内出血というのは悪い血だから、古くなると黒く見えるのです。ですからこれはなんでもないことなのです。そういう場合になぜ支部長に相談しなかったのですか。

 

〔 質問者 〕入院しておりますので。

【 明主様 】入院していても、いけないと言えばよいのです。入院しているとは言っても死刑にあっているわけではないのですから。支部長はだれですか。

 

〔 質問者 〕M・Tでございます。

【 明主様 】支部長もどうかしてます。それに肘から切るということは、もう信者ではありません。未信者と同じです。それを私はふだんから教えているのです。それはちょうど腐れ込むみたいに見えるのです。私は脱疽やひょう疽<ひょうそ>の項目に説明してあるでしょう。それと同じです。ですからひょう疽にしても、ここに溜まったのが指先に行くのです。この間女中がひょう疽になったのですが、私は指先には関係しないで、頸のここだけを浄霊してやったのです。それで治ったのです。これは聞く必要はありません。自業自得です。信仰が抜けているのだから、信仰が抜けたらそうなるに決まっているから、それはしかたがありません。信仰があって苦しむのならどんなにしても救ってあげますが、これは神様をぜんぜん無視しているのです。そういうときに助けていただいて、信仰の値打ちとありがたさが分かるものです。それを、そういう危機に際して神様ということはぜんぜん忘れたというのですから、どうにもなりません。だいたい支部長にも責任があります。今日来てますか。

 

〔 質問者 〕M・Tでございます。まことに申し訳ありません。お任せしなさいとは申しましたが。

【 明主様 】お任せしなくても、ほうっておけば治ります。

 

〔 質問者 〕親類が大勢おりまして、そういうことをしても駄目だと言いますのでした。

【 明主様 】あなたでは、親類がそう言えば頑張りきれないでしょう。だいたい本人が悪いのです。本人が断乎として拒絶すればよいのです。

 

〔 質問者 〕そうとうに拒絶しておりました。

【 明主様 】しかし、それは絶対に拒絶しなければいけないのです。

 

〔 質問者 〕骨の処分はいかがいたしたらよろしいでしょうか。

【 明主様 】それは勝手に処分したらよいです。ちょうど借金を返さずに破産して、債権者のほうに助けてもらいたいと言うようなものです。借金を返さないのは、返さないほうが悪いのです。それこそ人を馬鹿にしてます。支部長としたら、親類が大勢でそう言うのではしかたがないでしょうが、やっぱり本人の信仰が本当に徹底してなかったのです。よく他から言われてどうとか、あんまり言われてどうとか、ということは自分の責任を他人に転嫁するようなものです。自分の体は自分が所有者であって、人から預かっているものではないのです。どうとか言っているのは、つまりまだ本当に徹底してないから迷いがあるのです。そこでみんなに言われると、ああそうかと思ってしまうのです。それも子供ならしかたがないが、大人になっているのですから、だれがなんと言ってもガンとして頑張れば、どうすることもできないのです。

「『御垂示録』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p199~203」 昭和28年09月01日