教集25 昭和二十八年八月十七日(1)

△御講話おわり△ 今日の参拝の人数は五六七名だそうですが、いままでに五六七という数字は一度出ましたが、今日もその数字が出たのです。おまけに今日は五、六、七の七日です。そうして今日は宗教法人になって六年目の二八年八月です。それに今日は急にお天気が良くなって、よほどおめでたい日というわけです。

 『シカゴ・トリビューン』という有名な新聞の東京支社みたいなもので、『東京イブニング・ニューズ』という新聞の八月七日付に、ここの美術館を記者が見た感想を書いてあります。なかなかよく書いてあります。やっぱり外人は外人らしく、感じたままをごく率直に単純に言っているところが非常におもしろいと思います。その翻訳したのを読ませます。それでこういうように大きな写真を出してありますが、柿右衛門<かきえもん>の壷と鎌倉の阿弥陀さんです。

 (『東京イヴニング・ニューズ』八月七日付掲載の記事朗読)

 これがだいぶ広告になったとみえて、これが出てからほとんど毎日外人が幾人か来ます。

 それから睾丸が取れて生えた子供がいましたが、それについて岡田道一さんの骨折りで一昨日、いろんな病院の院長とか、厚生省の技官とか、みんなで七人の博士が見に来たのです。本人が来ていてよく調べたのですが、昨日の『産業経済新聞』の夕刊にそのときの部屋の様子が写ってます。そのときに、その感想と医学的の見方を一人ひとり話したのです。ところが公平にみて、非常に苦しそうなのです。「最初尿が六日も出なかったということは、腎臓結石が尿道につかえたのだ」と言うが、そんなことはあたりまえのことです。そういうことは非常によく説明しているが、肝腎な睾丸と陰茎がなくなったということを詳しく徹底しては話ができないので、はなはだ苦しい説明なのです。それで二人ばかり滑稽なのは、「睾丸と陰茎が中にはいっていたのだ、沈んでいたのだ。それが後に出てきたのだ」
という説明でしたが、これは噴飯<ふんぱん>ものです。それから父親と支部長に聞いてみると「睾丸の取れた所がほとんどすっかり落ちて、残っていなかった」と言うのです。そうするとお医者さんは「いや、つまり陰茎、特に亀頭と睾丸がすっかり取れたものは、後からできることはない、つまり新生することはない」と言うのです。「ただ、袋と陰茎の皮だけはできる」と言うのです。つまり伸びてくるわけです。つまり、吊れているのが伸びるような具合になるのです。だから「他の中身の固い物は新生することはないのだから、たぶん袋のほうは縮まっていて、中身のほうは奥に押し込まれていたに違いない」と言うのです。それからそう言いながらも、少し苦しいことになると「不思議だ」とか「奇蹟だ」と言うのですが、そのことだけはばかに小さく、聞こえないくらいに言うのです。ですからそれを率直に思ったとおりに、「これは新生だ、奇蹟だ、あり得べからざることだ」と言えばそれですむのです。そういったところでそれで別に値打ちが下がることはないのです。医学上にはないことなのですが、医学上でなんでも解決できると思っている手前から、医学で説明するような説明は、できないのでなくて、やらないのです。やると、沽券<こけん>に障るとか、つまり医学というものが非常に遅れているというような理屈になりますから、そういうところがさぞ苦しいだろうと思って、お気の毒なように思います。それがすんでしまってから、二、三の幹部の人の質問応答がありましたが、最後に私が話しました。どうせそれを説明したところで分かるはずはないのです。というよりか、分かっていて分からないというわけです。腹の底は分かっているが、上面が分からないというわけです。それからそれに触れないで「とにかくこれは新生だ、いったん取れた物が、あと快復するまで睾丸や陰茎が引っ込んでいて、外がよくなってきたので出てきたというものではない。これはぜんぜんなくなったものが新規に新生したものだ。しかしそれはあり得べからざることがあったのだが、まだ科学はそれを説明するだけに進んでいないのだから、いま私はそれを『医学革命の書』というのに書いている。できたらお送りするから、それを見てくだされば分かるわけだ」と言ってやりました。それで科学のほうでいま一番進んでいるのは、物性論なのです。湯川博士がノーベル賞をもらったのは、素粒子つまり中間子の発見でなったのです。最近は湯川博士も物性論というのを重要視してます。物性論というのは一歩進んだものです。それほど詳しくは話さなかったが、そのことを言っておきました。つまり素粒子というものは細胞のごく細かいものなのです。ですから顕微鏡とか写真とかで試験はできるのです。これは宇宙線撮影のときに七つかポツポツが見えて、それが素粒子ということになったのです。だから写真とか顕微鏡で見えるのです。ところが、見えなくてもたしかにあるというのが理論物理学で、物性論として唱えているのです。それは霊なのです。ですから物性論からもう一歩進むと霊界のほうになるのです。しかしこれから先へは科学では行けないのです。それで物性論からその次があって、またその次があって、その一番の奥まで私の本には書いてあるから、それを読めば「睾丸が新生する、ということはあたりまえのことで、なにも難しいことはない」と話してやったのですが、野蛮国に行っていまの文明国の説明をするようなものだろうと思います。また「いま私の言ったことは、原子爆弾を落とさない前に原子爆弾を説明するようなもので、おそらくだれも本当にする者はないだろう。ちょうどそれと同じようなもので、いまは信じられないけれども、その本を読めばだいたいは分かるわけだ」と、そのくらいの話をしてやりました。それについて論文を書きましたから読ませます。

(御論文「神と硝子玉」朗読)〔「著述篇」第一一巻五八九ー五九一頁〕

 つまり医学の本性というものは、顕微鏡で細かい菌が見えるということです。だからいま医学でなにか分からないものがあると、みんなウイルスにしてます。近ごろ流行している日本脳炎にしてもなんでも、つまり顕微鏡で見えにくいものはみんなウイルスにしてます。ところがウイルスよりもっと細かいものということに気がつかないのです。それを見るには顕微鏡の進歩よりないのだから、結局根本はガラス玉なのです。それでこっちのほうは顕微鏡で見えないような細かいものでも、別に見るわけではないが、分かります。つまり科学のほうよりももっと細かいものをこっちは把握できるというその違いさが、片方はいくらやっても治らないが、こっちは簡単に治るというように、実際的結果によって分かるのです。それをお医者さんに言っても分からないから言わなかったが、睾丸ができるということは、なんでもないことで、霊主体従<れいしゅたいじゅう>の法則によってできるのです。睾丸が取れても、霊のほうは取れてないのです。そうすると霊の形だけはだんだん埋めてゆくわけですが、これはあたりまえのことです。ところが医学のほうは、そういう場合に薬をつけますが、そうすると埋めて行こうという作用を遮断してしまうから、押しつけてしまうから駄目になるのです。それともう一つは、医学のほうで切っても、その後できるものもあるのです。指くらいは切っても必ず元通りになるのはなんでもありません。ところが医学のほうでは薬をつけるから、そこで止まってしまって片端になるのです。というのは霊があるので埋めてゆくのですから、埋まるに決まったものですが、埋めるには霊の力がそうとうにいるのです。ですからふつうほうっておくと暇がかかるのです。そこで浄霊すると霊の力が出るからして埋めるのが早いわけです。ですから睾丸が落ちても、自然にほうっておいてなにもしないでいると、一〇年も二〇年もしてできるのですが、それを浄霊したために十分の一、二十分の一も早くできるのです。それを説明すれば分かるのはあたりまえですが、そういうことをお医者さんに言っても無駄だから言わなかったのです。一番分かるのは、手を切りますが、肉体の先のほうの、なにもない所が痛む人があるのです。私は以前よく患者から聞いたのですが、それは霊があるからで、霊があるからつながっているのです。睾丸が取れた人に聞いてみると、白い細い物が残っていたというのですが、それは神経なのです。しかしその神経が取れてしまってはちょっと難しいですが、簡単なものはできます。重要なものはちょっと難しいです。それが医者が切断したものだと神経も切断してしまいますからできないが、そういうのは神経が残っているからできるのです。指などは神経を切っても埋まってくるものです。それが霊主体従の法則です。その原理さえ分かればなんでもなく分かります。

 それからもう一つは、みんな分かっていることですが、第三者にも分かるようにはっきり書いたのです。

 (御論文「毒塊人間」朗読)〔「著述篇」第一一巻五九三ー五九六頁〕

 話はいろいろになりますが、つい二、三日前の京都、奈良付近の水害です。瞬く間に百何十人が死亡、二百何人が行方不明、両方で四〇〇人ぐらいになりますが、行方不明というのはほとんど死んだので、死骸が見つからないから行方不明というわけですが、そこでこんなに水害があることはいままでに例がありません。それもこれも、つまり浄化が強くなったということは、「神様のほうは、この六月一五日以後だんだん左進右退的リズムが強く大きくなる」ということを私は言いましたが、やはりその現われです。いまにこれがだんだん大きくなりますから、どんなことが始まるか分からないというわけです。

 昨夜私の写真がだいぶ剥げたものがあったので、どういうようにしたらよいだろうというお伺いが来たので、見たところがだいぶ破損しているから、大事にしまって記念としてとっておきなさいと言ったのですが、聞くところでは、それは和歌山の水害のときに、それを抱いて相当時間水に流されて、命が助かったのです。それは神様のほうで、私の写真を沈めてしまうといけないから、それはどうしても助かるに決まってます。前にもある婆さんで、どこかの連絡船に乗るときに落ちて、そこは相当の船が浮んでいるのですから、かなり深い所ですが、それが落ちた所にまた浮かんだので引き上げたというのですが、落ちた所に浮き上がるということは潮流の関係でないそうです。そのとき船の底にでも行っていたらおしまいです。それで調べてみると、そのときはまだ御守りをやらないときで、麹町のころと思いますが、懐に 「おひねり」を入れていたのですが、他はすっかりぬれていたのですが、「おひねり」だけはぬれてないので、不思議だということになってました。だから洪水でどんなに水に流されても御守りさえあればよいのです。そうすればきっと助かります。

 また話は違いますが、今年は日本脳炎が非常にはやって、去年の何倍ということになってますが、信者の人からみれば日本脳炎というのは結構です。これはだいたい肩から背中の毒が頭を照りつけられるので寄ってくるのですが、後頭部に寄って頭を抜けて目脂<めやに>と洟<はな>になって出てくるのです。そのときに医学では冷やしたりするから、頭のどこかに固まるのです。そこで後が片端みたいになるのです。ここ(前頭部)に固まれば目が見えなくなるとか、横のほうに固まれば耳が聞こえなくなるとか、頸のほうに固まれば手が痺れるとか、そういうわけです。ですからなにもしなければ、出るだけ出て治るに決まったものです。それで死亡率もそうとうあります。一割以上あるようです。それは蚊の媒介と言うが、そんな馬鹿馬鹿しいことはありません。もし蚊の媒介とすれば、東京では本所、深川辺りが一番起こらなければならない。ところが本所、深川が一番少ないのです。むしろ他が多いです。それからまたもし蚊の媒介とすれば、冬は起こらないわけですが、冬も起こっているのですから、実に笑うべきことです。よくお蔭話に出てきますが、たぶん日本脳炎だろうということは、延髄が動かなくなりますから、はっきりすぐ分かります。そういうわけですから、日本脳炎などには大いにかかるようにしたほうがよいです。頭がよくなります。学校の生徒は日本脳炎をやると、後がきっと成績がよくなります。優等になります。実際いうと、子供より大人のほうがかかったほうがよいくらいです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十五号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻」 昭和28年08月16日