教集25 昭和二十八年八月六日(5)

 それから話は別ですが、今年の米作はよほど悲観すべき状態にあるようです。水害は別ですが、害虫はたいへんらしいです。どのくらいの減収になるか、そうとうの減収になるだろうと思ってます。ちょうど医学と同じことで、虫害のために減収になるのです。その対策として、虫を殺すということに一生懸命になってますが、これは近ごろこの二、三年前からやり始めたドイツでできた、なんとかいう恐ろしく毒のある薬で、手に触っただけで死んでしまいますが、それを使い始めてます。それくらい強烈な薬です。それで虫だけを殺せばよいと思ってますが、それが土にはいって行くとたいへんです。ですから実に単純な考えで、要するに浅薄極まるのです。それでますます薬を強くするのです。そうするとますます害虫が発生することになり、その競争になってます。ちょうど麻薬と同じことです。麻薬が、最初は一日に一回でよかったものが、二回になり三回になり、しまいには何十本と打つようになる。それと少しも違いません。ですからこれを早く防がないと、いまにたいへんなことになります。今年あたり虫害のために減収になったらよほど考えるだろうと思いますが、どうしてもこっちのほうで、できるだけ分からせるような方法をしなければならないと思ってます。ところがこういうわけです。霊界がだんだん明るくなると、結果が非常に早くなります。いままでは毒の効き方も遅かったために、虫なら虫を殺すだけの効果があって、それが土にはいって、土を穢して、また虫をわかせるというのに暇がかかるから、一時虫が死ぬからそれでよいと思っていたが、ところがだんだん霊界の浄化が強くなるに従って早くなるのです。つまり毒が集まって行くのに何年もかかったのが、それが早くなって、つまり毒の結果が早くくるのです。これはちょうど浄霊と同じで、浄霊も年々治りが早くなって、治る人はドンドン治り、死ぬ人は早く死ぬというようになってます。ですから善悪をはっきりさせるということになるのです。そこで以前は肥料の毒をそれほどと思ってないのが、肥毒というのがますます著しくなるから、どうしても分からないわけにはゆかなくなるのです。ちょうど医学の薬がいままでは固め方法だったのですが、その固め方法がだんだん効かなくなるのが早くなって、今度は固めようとする傍《かたわ》らから溶かすほうが早くなって駄目になるというように、肥料のほうもそういうようになってきつつあります。そこでどうしてもこっちの言うとおりにしなければならないようになってきます。それもそう長いことはありません。そうなったら、私が著《あら》わした本を見ればすぐに分かるようになります。いま私が本を書いているのは、いま信者の人に読ませるということは一つの準備行為で、そのときに一般人に読ませて目を覚まさせるということが本当の狙いどころになるわけです。ですから今年あたりの虫害が非常に酷いということは、一歩それに近づいたわけです。これはいろんな方面に現われていきますが、ともかく肥毒のためにいまでさえ米が足りないとして、近ごろは人造米などを大いにやろうとしているらしいですが、しかし人造米の原料でも、やっぱり米と麦ですから、たいした節約にはならないわけです。しかもよけいな手数をかけてまずい物を食わせるのです。これはどうせ自然とは違うに決まってますから、うまいことはありません。それで栄養が何パーセントあるとか言ってますが、それは自然の栄養とはまるっきり違います。そういうわけで、それだけの経路を経なければ本当に分からないのだからしかたがないわけです。私のほうでやっている仕事はその時期とチャンと合ってゆくわけですから、かわいそうでもあるし愉快でもあるという、複雑な感じです。しかしそうなっているのですからどうにもなりません。土を浄めるためにこの間のようなああいう大水が出たわけですが、だんだん浄化ということがいろんなことに現われて行くというように見ていればよく分かります。

△御講話おわり△

「『御教え集』二十五号、岡田茂吉全集講話篇第十一巻p18~19」 昭和28年08月06日