終戦後封建制が壊れて、いまは自由主義になったといってたいへん結構としていますが、だれも気がつかないところに非常な不自由主義があります。そしてこれは解決不可能としてだれも関心を持たないのですが、それも無理はないのです。人間はできるだけ自由主義ならよいですが、絶対できない自由主義だから諦めているよりしようがないのです。ところが私はその自由主義はかえっていまの社会的、政治的のそういう自由主義よりもずっと楽に解決できるというわけなのです。それはなにかと言いますと、健康自由主義です。いまは健康に対する自由がないのです。それを書いてみました。これを読んでみると、なるほどと思うのです。それで救世教のありがたいことはこの点に大いにあります。ところがそう言われてみないとちょっと気がつきません。
『医学革命の書』の本ですが、前に『医学の革命書』と言いましたが、これを『医学革命の書』とします。その中に入れるものです。ですからちょっと分かりきったような説明も書いてありますが、そのつもりで聞いてもらいたいと思います。
(御論文『医学革命の書』「健康の自由主義」朗読)〔「著述篇」第一一巻二四一―二四五頁〕
いま読んだようなわけで、いまの人間が安心して生活できないということは、いつ病気にかかるか分からない、風邪を引いたらたいへんだ、食い過ぎるとお腹をこわすとか。ともすれば、頭が痛んだり、目がクシャクシャしたり、ヤレ神経痛が起こるとか、どうも体が重いとか、腰がフラフラするとか、なにかしらで年中無事息災だという人は、ほとんどありません。またそれだから一生懸命に医学衛生をやるのです。うっかりすると伝染病になるかも分からない、いつ赤痢が起こったり、日本脳炎が起こるかも分からない。子供などはうっかりすると寝冷えするとか、アイスキャンデーを食ったので腹を下すとか、ヤレ生水を飲むなとか、親の子供に対する心配は病気だけです。これが年中ピンピンしていれば、子供などはほうり出しておいても育つのです。ところがそれではいけないと、しきりに政府始めお医者さんが注意するのですから、いまの人間くらい年中ビクビクして生きているものはないと思います。ですからいまの人間が一番心配なことは病気なのです。つまり主治医とかいって、いままでは少し裕福な人はお医者さんとは親類みたいになってます。現に私が昔はそうだったのです。人間はいつなんどき病気が起こるか分からないから、夜中でも電話一つで飛んで来るようなお医者と懇意にしておかなければいけないというので、親戚みたいにしていたのです。いまの家内の仲人はそのお医者さんなのです。ですからそういうような人がたくさんあるということは、私の経験から言ってもあたりまえなのです。そのくらい医学を信じさせられ、病気を怖がらせるという教育を叩き込まれてますから、みんなそうなってます。ですから他のことはどんなに安心ができても、このために人間が心配し苦しんでいることはたいへんなものだろうと思います。ですから、このことから解放されるということが幸福のまず第一番のものを握ったわけです。これは別に言う必要はないくらいですが、救世教の信者になると、その点が実によいわけです。反対の考えですから。このノンビリした気持ちというものこそ本当の自由です。ですからちょうど自由主義が生まれ、また自由主義がありがたいというのは、つまり封建的の政治でいろいろ窮屈なことを上からやられて、そうして苦しんでいた者が(民主主義ですから国民のほうが主人だということで国民の自由を得て)、非常に恵まれたわけです。ところがそれはそれとしても、いまの人は健康のほうでいつもおどかされて、そうしてアレを食ってはいけない、これをしてはいけない、あれがどうだと、ビクビクしているわけです。そうしてみると、これは封建制度よりも、むしろ恐ろしいわけです。ところがそれを解放されるとしたら、こんな結構なことはありません。そこで「健康の自由主義」ということを書いたわけです。けれどもこれはそう言われればなるほどそうだと思いますが、世間一般の人は「そんなうまいことができるわけはない」と、病気は怖いものではない、病気は浄化作用だから結構だということは知らないし、また信じないから、たいへんな医学封建に苦しめられているわけですから、大いに「健康の自由主義」を世の中の人に知らせなければいけないと思っているのです。
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