『御垂示録』二十三号 昭和二十八年八月一日(8)

〔 質問者 〕御神前のフスマを閉めようとして、無理に閉めたところ、大きな物音がし、明主様の御写真が床の上に落ち、ガラスが割れ、お袴の裾に針の先で突いたほどの傷と、かすったほどの傷が二、三ヵ所つき、御神体の表装の下のほうに三分くらいの切傷がガラスの破片でつき、お茶が少々かかりました。表装をしなおし本日持参いたしました。お詫び申し上げます。

【 明主様 】見て差し支えなければ浄めてあげます。

 

〔 質問者 〕そのことにつきましてこういうことがございました。その以前に屋根の雨樋の修理のために職人が屋根に上がるので、御神体と御写真をお外ししたそうでございます。

【 明主様 】それが悪いのです。そのとき外したのがいけません。

 

〔 質問者 〕屋根に人が乗りますので。

【 明主様 】乗るときは神様にお詫びすればよいのです。移動したのがいけません。

 

〔 質問者 〕もったいないと思いましたので。

【 明主様 】そうではないのです。それは修繕するのだから、やむを得ないのです。神様は許されます。屋根に上がらねば修理できないので、樋が直らなければ被害をこうむりますから、神様としてもおとがめはありません。神様は理屈が立てば決しておとがめはありません。それを外したということは、神様を侮辱したわけです。神様はずいぶん気がきかないというように見られたわけです。ですから神様は気に入らないのです。

「『御垂示録』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p188~p189」 昭和28年08月01日