『御垂示録』二十三号 昭和二十八年八月一日(7)

〔 質問者 〕お盆には亡くなった知己、親戚という者が仏壇に来られるのでございましょうか。

【 明主様 】来られます。

 

〔 質問者 〕それはどういう意味でございましょうか。

【 明主様 】あれはお釈迦さんが仏界をつくったときに、そういうようにしたのだから、どんな地獄に苦しんでいる者でも、一年に一度ずつは娑婆に出してやるというわけで、許されてあるのです。

 

〔 質問者 〕そういうこととは別に、姻戚で無縁になっている霊がたくさんあり、また私どもの場合、教会の信者で亡くなった者がある場合に、自分の家の仏壇で供養してあげたいという場合には、はいってくるものでございましょうか。

【 明主様 】祀ればはいってきます。

 

〔 質問者 〕その場合はどういう名前で作りましたらよろしいのでございましょうか。

【 明主様 】しかし作らなくてもよいでしょう。あなたのほうのごく関係した者だけでよいです。なんとなれば、その人の遺族が祀るのが本当なのです。それでそういった無縁になってしまっているのは、一々救うとしたらたいへんです。昔からとなると何億、何十億とあります。それを祀るとしても、みんなは来れないかもしれません。だから良いとか悪いというよりも、そういう必要はありません。仏立講<ぶつりゆうこう>でやってますが、それをやっている仏立講が最近はたいへんな苦境に陥ってます。

「『御垂示録』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p186~p188」 昭和28年08月01日