『御垂示録』二十三号 昭和二十八年八月一日(16)

〔 質問者 〕稲作につきまして、藁を入れ過ぎまして分蘗<ぶんげつ>が少なかったということがございました。

【 明主様 】それは入れ過ぎたのです。臨機応変で、あんまりたくさんやると根伸びのときに妨げます。だいたいは土なのですから。どうも土を軽視していけません。本当は藁もなにも入れないほうがよいのです。

 

〔 質問者 〕寒い所においてもでございますか。

【 明主様 】そこですが、原則としては入れないのですが、寒い所は温めるために入れるのですが、そうすると土を邪魔するから、土を邪魔しない程度に入れるのです。また種が肝腎ですが、お蔭話によくあるのは、農林何号とか、なんの種ということを書いてあるが、それを書くようでは駄目です。種の種類はなんでもよいのです。つまり自然栽培なら種がよくなるのです。

 

〔 質問者 〕最初のときはその田から取れた藁の八割を入れておりました。

【 明主様 】それはいけません。百姓は藁でなにか作ることがあるでしょう。それはどうしますか。

 

〔 質問者 〕そういうことは考えずにいたしておりました。

【 明主様 】百姓は藁で作るものがあるから、それを作って余ったものを入れるのです。そういったことも理屈に合わなければいけません。根本はこれにあるのです。すなわち信仰にはいってそこに光明如来様をお祀りしてあると、そこの霊界が温かくなるのです。そこで以前はそれほどでなかったが、年々温かくなるから、それで作物が非常によく取れるのです。だからだんだん藁とかそういうものを入れないで、土ばかりにしたほうがよいので、そうすればよく取れます。いままでは藁を入れ過ぎたためです。そうすれば分蘗でも有肥田の倍くらいに増えなければならないです。それはそうなります。霊界の火素が増えますから、それが大きなものです。だからいまは私は、そういった藁を入れることを言いますが、いずれはそういうものは入れないで、土ばかりです。田でも堆肥というのは入れないで土ばかりです。そうするともっとよく取れます。

「『御垂示録』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p196~p197」 昭和28年08月01日