教集24 昭和二十八年七月二十七日(2)

 それでいま言うレントゲンを通さないすばらしい光が簡単な文字から出る、その元はいったいなにかというと、これも意外な所にその元があります。その元は太陽の黒点なのです。太陽の黒点というものが宇宙の中心で、力の根原です。それで太陽は非常なたいへんな熱い光ですが、この光の元というのは太陽の黒点にあるのです。ですからQ<ス>のポチは黒点を書いてあるのです。これは黒点といっても一つではないのでたくさんあります。望遠鏡で見るとたくさん見えますが、この粒々がたいへんな意味がありますが、それはいずれ発表することがあります。またこの粒々が救世教の仕事に非常に関係がありますが、そういうことを言うと、あまり飛躍し過ぎて、フラフラになってしまいますから、分かりやすい程度の話をするわけです。そういうようなわけで、黒点というのはあらゆるものの一つの力の根原、精気の根原と言ってもよいです。ですからいっさいを支配しているのです。それから宇宙の中心と言ったらよいでしょう。それで太陽の熱度というものはたいへんなものです。ところが滑稽なことは、このごろ日本でもそういう会ができるようですが、宇宙何々会というのがあって、これの最終の目的は月の世界に行くことだそうですが、月の世界は学者には本当に分からないため、月の世界に行ける、地球と大差ないように思っているらしいのです。だからロケットを作ったり、その中に空気を溜めたりして、そういう研究をやってますが、実に子供がオモチャを作っているようなものです。月の世界というのは氷の固まりですから、その冷たさというものは、太陽の反対ですから、零下何度という簡単なものでは分かりません。ぜんぜん熱がないのですから、もし行けたとしても、行った瞬間、月世界の手前まで行った瞬間凍りついてしまいます。そういう馬鹿げたことをまじめになって研究しているのですが、ちょうどいま医学者が薬で病気を治そうとして研究しているのと同じことで、テンデお話になりません。だからとにかくさっきも読んだように「未開人と同様だ」ということは本当に間違ってはいません。ありのままを書いたわけです。そういうことも、そうつき詰めるほどのことも必要ありませんが、だいたいを知っていれば、場合によって恐ろしいことも、科学の進歩にのぼせている人を相手にした場合にも、本当の根本を知っていると、へこます道具によいと思って話したわけです。これからだんだんに書きますが、そうなると宗教とか科学とかいうのでは限られます。だいたい宗教というのは宗祖の教えです。人間はよいことをする、悪いことをしてはいかん、親に孝行を尽くすもの、粗末にしてはいけないという、一つの道徳です。しかしただそれではいけないのです。それはやはり神様があって、神様の教えに基づいてのそういうやり方をするのですが、ただ神様といっても、いままでは最高の神様は出なかったのです。二流、三流の神様です。それで科学に負けるようなことになったのです。だから釈迦、キリスト、マホメットといったところで、私からみればまだまだ小僧くらいにしか思いません。今度の歌に書いてあります。そういうことを言うと、知らない人が聞くと、あんまり大き過ぎるので、誇大妄想狂で頭がおかしいと誤解されますが、信者はただ知っていればよいのです。

「 『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月27日