教集24 昭和二十八年七月二十六日(1)

 いま『医学革命の書』という本を書いてますが、その中でちょっと変わったことを書きましたから、それを読ませます。

(御論文『医学革命の書』「科学で病気は治らない」朗読)〔「著述篇」第一一巻二〇六-二一〇頁〕

 いま読んだとおり医学というものは実に馬鹿馬鹿しいものなのです。つまり病気というものは、なんだかぜんぜん分からないでいて、だろうくらいでやっているのです。「この薬が効くだろう」とか「薬で病気が治るだろう」という、はなはだ確信のないことをやっているのですからして、これが本当に分かったら「とんでもない代物」ということになります。そうして人間を病気で苦しめて命までまき上げるのですから、まったくとんでもない代物です。これをだんだんはっきり説いて世界的に知らせるわけなのです。この間ラジオで聞きましたが、湯川博士を囲んでの座談会があったその録音ですが、それについてちょっとおもしろいことがあるので読ませます。

(御論文「超科学」朗読)〔「著述篇」第一一巻五七三-五七六頁〕

 このことはちょっと難しいのですが、ひととおりは知っておかないと、ああいうことを聞いたり読んだりしたときに、ぜんぜん分からなくてはしようがありませんから。いまの科学でもっとも進歩した説は素粒子論というのですが、素粒子というのはうまい言葉を使ってます。「素」というのは粗いということで、つまりまだ仕上げができてないというわけです。物質のもっとも細かい、その物質の粒子を素粒子というのです。ところでこれも最初は湯川博士が理論はそうだという考え方だったのですが、宇宙線撮影のときに、写真に六つか七つ写って、それが素粒子だということになったのです。次に物性というのは、物の性、つまりわれわれからいうと霊で、一つの気体です。これはたぶんそういうものがあるのだろうという想像なのです。それが粒子科学のいま一番進歩した説なのです。ところがその物性粒子よりまだまだもっと細かいものがいくらでもあるので、さっき読んだとおり無限なのです。そこでいまの物性粒子より先に行くと科学では分からない、というよりか、どうすることもできないのです。つまり顕微鏡がもっとウンと発達しない限りしようがありません。そうなると一つの気体になるのだから、気体は科学でははっきりつかむことはできないので、「たぶんあるべきだ」というところまではゆくのですが、ところが気体よりかもっと奥があるのです。つまり霊、霊界といって、これが何段にもなっているのです。そこで霊にも上中下といろいろあるのです。その霊の根本というのは光なのです。光の根本は太陽なのです。太陽の光の根本というのは、太陽の黒点なのです。これがつまり大宇宙の種の芯のようなものです。しかし天文学ではこれはとても分からないのです。黒点は一つに見えますが、いくつもあるものです。望遠鏡で見ると分かりますが、私は前に科学博物館で見たことがありますが、いくつも散らばってますが、それがまとまって人間に見えるのが黒点です。この黒点というのがたいへんなものです。つまりこれが太陽を支配しているものです。太陽の中心です。それでQ<ス>のチョンが黒点なのです。それで浄霊で病気が治るこの光は黒点から出ているものです。こういうことは説明すればきりがないし、またそんなに深い所まで知る必要はないのだから、それだけ知っていればよいわけです。いま言ったとおり科学のほうでは、その霊を認識しなければならないという手前にまで来ているのです。ですから科学者のほうでは、まだ研究する問題が非常に多いということを、湯川博士なども言ってますが、だんだん研究問題が増えて困っていると言ってます。それからまたいっぽうの科学者は、実存主義の哲学のほうですが(そこまでゆくと哲学も科学と同じですが)そのほうは、もうこれ以上はしようがないと行き詰まっている一派があります。両方とも間違ってはいませんが、むしろ行き詰まったほうが先見の明ありと言えます。その科学が行き詰まったその先はどうだということを書きますが、書いたら湯川博士にも送るつもりですが、どのくらい分かるか、分からないか、それは未定ですが、少なくともヒントは得られると思います。それが分かれば、浄霊で病気が治るということは科学で充分説明ができます。ただこっちのほうの科学は現代の科学よりずっと進んだものです。そこで薬や機械で病気を治すということは、実に低級な未開人的なものです。それを薬などをありがたがってのむということは、これが二一世紀ぐらいになってみると、二〇世紀の奴はナンテ幼稚なものだったか、実際あの時分に文明とか文化と言ったが、実際哀れなものだと言って笑うことになります。ただそれを咀嚼するだけの頭脳がいまの人にはできてないから、なかなか難しいのです。けれどもやはり真理ですから、一時は分からなくても結局は分かることは間違いありません。ただそれまで時を要しますが、それを証拠立てるためにこうやって病気が治るということを見せているというわけですから、その点から言えばそんなに難しくはありません。ですからそういう意味からいっても、いままでの宗教というものは幼稚なものです。ですから本当を言えばキリストでも釈迦でも、それはまだまだごく子供みたいなもので、幼稚なものです。しかしその時分には、やはりそれほど深い所や高い所を人間に知らせる必要がなかったから、あの時代の人間にはああいうような説き方でよかったのですが、もうそんなことを言っては追いつかないからして、結局、時がそこまで進んだわけです。文化がここまで進んだということは、もうそういうことも知らせなければならないという意味もあります。他に悪魔のほうの関係もありますが、それは別の話になりますが、いまは科学、文化の発達の先をお話ししたわけです。そういうわけですから、もう近い将来、ある時期に行くとだんだん分かってきます。

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月26日