それから近ごろは信者の女の人でだんだん化粧しなくなってきました。オシロイとかクリームをつけない人が増えてきました。いまにみんながそうなるでしょうが、これを少なくとも半年とか一年とやっていると非常にきれいになります。化粧代はいらなくなるし、だいたいこんなこと(化粧の手間)をする必要はありません。それで人に招ばれたときなど、ちょっと便所とかに行ってこうやりますが、あれは一つの不正直な行為です。一つの欺瞞行為です。より美しく見せようというのは悪いということではないが、しかし実価以上のものに見せようというので、善意の欺瞞です。罪にならない犯罪です。浄霊をやっていると、化粧を止めて当分は真っ黒で、それこそ南洋の土人か、アメリカのニグロみたいに見えますが(私もこの間見てびっくりした人がありますが、これはオシロイを止めたせいだなと思いましたが、それは覚悟しなければなりません)、その代わりそれを過ぎると実にきれいになります。それも気持ちのよいきれいさです。それに始終浄化して血がきれいになりますから、きれいな血が皮膚から透けて見えるのですから、実に感じのよいきれいさです。だから本当はいまの世の中に美人というのはいません。それから形も違うようです。やっぱり性格において、女らしい優しさというのがなくなってます。なんでもかんでも理屈をつけて、男女同権とか言っていばるのですが、高慢な者が出てます。というのは、明治、大正時代の女の写真を見ると美しいです。ところがいまの女の写真は美しくありません。ブツブツが出たり皮膚が荒れたりで、化粧しなければ見られたものではありません。化粧しないのを側で見たら、美ではなく醜です。だからつまり自然の美、天然の美というものをだんだん失ったわけです。ですからこれをふたたび自然の美に復活するということが必要なわけです。それからもう一つは、いまのクリームなどはいろんな薬剤を使いますが、それがだんだん強くなってます。この間新聞に出てましたが、アメリカの婦人は顔の皮膚が荒れて困っているということが書いてありましたが、アメリカはよけい強い薬を入れるからに違いないと思いました。そういうようですから、信者の女の人はそういったようなことをよく知っていれば、つけるのも少なくなるからよいですが、ずっと少なくして、ある時期に行ったら断然止めて、自然の美人になったほうがよいと思います。時間と金の非常な経済になって、夫の愛も増えるというわけですから、一挙三得というわけです。
「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月25日