医学のほうですが、医学のいまの建前というものは、黴菌すなわち微生物が病気の原因であり、それを殺菌するということによって病気は治るという建前になっていて、結核にしても結核菌を殺す薬、「どうすれば殺せるか」ということを研究しているのですが、このくらい馬鹿馬鹿しいことはありません。体の中にあるものだけを殺すということは、常識だけで考えてもできるはずはありません。私は前に書いたが、結核菌を殺すには人間を殺せば、それは一匹残らず死にます。そういう馬鹿げたことで世界中の学者が頭を悩めているのですから、宗教の迷信と同じようなものです。しかし宗教のほうでも、そのとんでもない医学迷信よりかもっと以下のものが多いです。なんとなれば病院を造ってます。自分たちでは病気は治らない、医学でなければ治らないというのですから、医学よりもっと以下なのです。ですから医学が軽蔑するのももっともかもしれません。医学のほうを信じ、医学に手を合わせるのですから、医学のほうが教主様になるわけです。そこで医学の一番の根本である黴菌について書いてみました。この前にも読みましたが、まだ分かり難いと思ったので、もっと分かりよく念を入れて書き直しました。これは簡単な事柄でありながら、なかなか難しいのです。そこをもういっそう深く突っ込んだのと、両方を読ませます。
(御論文『医学革命の書』「科学で病気は治らない」「超科学」朗読)〔「著述篇」第一一巻二〇六-二一〇頁、五七三-五七六頁〕
これはなかなかややこしいのですが、いま読んだようにいまの科学は素粒子、つまりごく小さい細胞ですが、それは分かったのです。それでいま言う物性論というのは、それよりもっと細かい、顕微鏡でつかめないものがあるというのです。一つの理論物理学ですから、これは推理、想像し、実験によって確認されるのですが、それを実験する方法がないのです。というのは、もっと細かい所が見える顕微鏡でなければならないが、そういう顕微鏡はいつ作られるか分かりませんから、そうすると科学の研究は、いま読んだとおり壁にぶつかる手前に来たわけです。それでその次はこうだということをこれから書きますが、これができあがったら湯川博士に送ってやろうと思ってますが、理解できるかできないか分からないが、少なくともヒントを与えることにはなります。ですから世界のそういう偉い哲学者といっても、私からみればずっと手前のものです。ところがいままで駆け出していたのが息が切れて、これから先は駆け出せないという時期がもうじき来るのです。それでこっちで乗り物を与えてやるのです。これに乗ればどこまででも行けるのです。ところでここで始末が悪いのは、その乗り物というのは宗教なのですから、科学者は宗教と科学とは別物に思い、あるいは宗教のほうが下だと思っているのです。しかし偉い科学者はそうは思っていないらしいです。湯川さんなどは宗教に対してそうとうの認識を持っているようです。パスツールというのは、あの時代に神ということをよほど分かっていたのです。あの人たちは科学と哲学と両方やっていたようですが、パスツールはコッホより先に黴菌を発見した人ですから偉い人には違いありません。そうして結局最後は神だ、それでなければ解決はつかないということを言っています。しかし一般の科学者はまだまだそこまで行ってないどころか、そういったような目に見えない科学以外のものは全部否定するというのですから、浄霊で治るとかいろいろ言っても、非科学的だと言うのです。ですからそういった科学迷信を大いに自慢しているわけです。そういうようなわけで、ただ有力な哲学者ないし科学者は、結局、神、唯心論に行かなければ解決できないということは朧げながら思っているが、そうかといって、はっきりつかむことはできないのです。ということは、はっきり説明する人がなかったのです。また説明だけでは、いかに巧妙に言ったところで信ずるということはできません。ところが私のほうでは、こうやれば病気が治るという、要するに実験を見せるのですから信じないわけにはゆきません。ただそこまで彼らを導くのがたいへんです。というのは、この門の中にあるこの扉を開ければたいへんな宝があると言っても、そんなことはあるものか、絶対にないと思い込んで頑張っているのですから、その扉の中に誘うのがたいへんなことです。しかしそれは神様がやられているのですから、神様がどんなうまい手を打つか分からないし、また手を打つに違いないですから、結論として時の問題です。時の問題といったところでそう長いことはありません。もしまだ長いとすると、だんだん浄化が旺盛になってくると死ぬ人ばかり多くなってくるから、人類は死ぬ人が多くなりますから、よほど急がなければならないのです。それは分かってますが、もう少したったらはっきり言いますが、私もやっぱりそれを待っているのです。日に月に霊界ではだんだん変化しつつあるのです。それは実におもしろいのです。その根本だけは話してもよいですが、その根本というのは力の根原です。それはなにかというと太陽の黒点なのです。太陽の黒点が宇宙の支配力の中心なのです。あそこから力が出るのです。それでQ<ス>のチョンが太陽の黒点なのです。これがたいへんなものなのです。ですから浄霊の力の元は太陽の黒点から来るのです。だからおもしろいとも言えます。それで学者もやっぱり昔から太陽の黒点を研究してますが、遠過ぎてそれはとうてい分かりません。私はいつか科学博物館で望遠鏡で見たことがありますが、中にいくつも黒点が大きい小さいのが混じってます。それを総合してみるとチョンになるわけですが、それがなんだということは、学者がいくら想像してみても、それはとうてい分かるはずはありません。それで昼間の世界ということは黒点が変化するのです。それで太陽の熱というものは、太陽の黒点から放射されている一つのエネルギーですが、火力というものは太陽よりか黒点のほうがもっと強いので、それは神秘なものです。その黒点の代表者が主神です。そこから私の体に光が来ているのです。だから病気などを治すのはなんでもありませんし、だいたい病気というのは黴菌がいまは二〇万倍まで見えるというが、これが一〇〇〇万倍、一億万倍となっても、もっと細かいのです。それはなんだというと無限なのです。これはちょうど大空の広さが無限なのと同じように、小さいものもまた無限なのです。ですからして病原というのは無限なのですから、顕微鏡が発達しようと、どんな機械ができようと、それは分かりません。それはちょうど大空の壁を発見するようなものですから、分かるはずがありません。ですから医学が科学的に研究してもなにもならないので、害を与えるようなものです。それを分からせるようにいま書いているのですが、そこまで信じさせるのは容易なものではありません。ただ、神様をどうしても分からなければならない、というようなことがいずれ始まりますから、そうすればなんでもありません。というのは霊界における太陽の精気、黒点の精気が非常に強くなりますから。あれは学問のほうでは十一年目に黒点が強く現われるということになってますが、黒点が強く現われるということは、これが十一年目にこういうように開くので、強くなるのです。あらゆるものは一定していないのです。すなわち呼吸運動が行なわれているのです。太陽もやはり呼吸運動が行なわれているのです。十一年目に一回行なうのです。拡がったり、つぼまったりする呼吸です。それはなんでもそうです。太陽でも月でも地球でも呼吸運動をして、それによっていろんな変化が起こるのです。春夏秋冬の四季も呼吸運動の小さなものです。一年に一度の呼吸ですが、これが十一年目に一度、百年目に一度、千年に一度という大きなものもあります。哲学のような天文学のような話になって、大学の講義のようになりましたが、もっとも神霊大学の講義かもしれません。それ以上のところまで知る必要はないが、ざっと話してみればそういうようなものです。