教集24 昭和二十八年七月十六日(3)

 それから台風については、前に書いたことがあるから分かってはいますが、また新しく書きましたからいくぶんかは違った点があるはずです。

(御論文「台風の霊的考察」朗読)〔「著述篇」第一一巻五五九-五六一頁〕

 こういうことも知っておかなければいけません。いつも言うとおり、相応の理というものは、なんでも穢れれば自然にその穢れを浄化するという、そういうものが発生するのです。ですから世の中に悪い奴が多いということは、悪い奴が必要なのです。これは大乗的の見方ですが、人間がずるいことをして金を溜め、財産をつくる。そうするとそういうずるいことをしたものは穣れてますから、どうしてもそれを掃除しなければならないのです。そうすると泥坊が必要であり、巾着切も空き巣狙いも必要なのです。必要というよりか、悪い奴がそういうものをつくるのです。掃除をさせるようなものです。ですから悪い黴菌が湧くということは、人間が間違ったことをして、毒素や膿のようなものを溜めるから、どうしてもそれを掃除するものが自然に発生するのです。自然に発生して、それが伝染して伝染病やなにかになって、それによって掃除するのですから、つまり言うと、人間にそういった害を与えるようなものは、害を与えるようなものを人間がつくるのです。だから人間のいっさいの災いというものは、みんな浄化作用の道具です。己が汚いものを溜めるから、それを掃除するものがあるので、それが自然にできるのですが、本当は自然でなくて人間がつくるのです。そこをよく知れば、いろんなそういった災いというものはしかたがなく、やむを得ないものです。だから九州の大水害にしても、それは人間がそういった大水を出して洗わなければならないように汚すからです。汚れを溜めるからです。従って台風は天災ではなくて人災だということを前に書いたことがあります。すべてそういった頭で見るとよく分かります。自分が苦しみ、ナンテ不運だろうということを嘆く前に、そういった不運やそういうことをつくるということです。自分がこしらえるのだからして、だれを恨むこともないので、まず己を恨むよりしようがありません。いまの人間はそれを知らないからして、自分の罪を棚に上げて、人が悪い、社会が悪い、教育が悪い、政治が悪い、制度が悪い、となんでもかんでも自分以外に原因があるように考えるのです。それをまた偉い学者とか偉い人が(自分などもそう思うのですからしかたがないが)大いにそういうことを言いふらすのです。だからみんながそう思い、そう思うからなんでもかんでも人を恨み世を恨み、始終不平満々としている。そのために自分でまた罪をつくり、その罪を掃除しなければならないいろんな苦しみやなにかを起す。そこでまた恨むというので、結局二進も三進も行かなくなって自殺するとか人を殺すとか、いろんなことになるのです。人を殺すという罪は、自分が霊界に行っていろんな苦しみをするということになります。ですから根本を間違えているために、どこまでも悪いことをするのです。それと関係のあることで、もう一つ読ませます。

(御論文「世のインテリ族に物申す」朗読)〔「著述篇」第一一巻五六三-五六五頁〕

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月16日